資本主義を資本家の私利私欲の産物と見做していては、より良い暮らしの成就はありえない。それは何も近現代に限った話ではない。本書は近現代の資本主義の発展がもたらした生活水準の向上を主眼に置いて論評する一冊であるが、本書で取り上げている内容は他の歴史においても有用なのである。
たとえば、今の日本は失われた30年というフレーズでまとめられているが、日本の歴史を振り返ると失われた180年が存在する。律令制の開始から律令制崩壊までの180年間である。この間、日本国の経済成長はほとんど見られず、天然痘の大流行もあって人口が減少し、生活水準の向上はほとんど見られなかった。
飛鳥時代に律令が定められたとき、日本国からは失業が消え、全ての日本国民は低い税率のもとで厚い福祉を受けられるはずであった。全ての人に農地が分配されたことで、食に困る国民はいなくなる。全ての人のもとに学問の道が開かれ、学業次第で誰もが役人となり貴族となることができる。全ての人が無料で医療を受けることができる。そんな律令制がこの国を180年に亘って支配していた。それなのに、失われた180年になった。
180年間に全国的な飢饉が6回発生し、天平年間の天然痘の大流行もあって、人口は大きく減った。生き残った人も分配された土地を捨てて流浪の身となり、ある者は平城京や平安京に身を寄せ、またある者は都に向かう途中で息絶えた。農地に残った者は律令で定められているよりはるかに重い税を課され、労働義務を課された。これらの義務から逃れるべく戸籍を改竄することも頻繁に行われるようになった。律令は奴隷制を認めていた。奴隷として生まれた者は人権を与えられず、売買されることも珍しくなかった。国民の一人と把握されていても、分配される農地も乏しかった。奴隷の境遇から逃れるべく脱走する者も続出した。
律令制を終結させたのが藤原氏である。ただし、藤原氏は律令を廃法に追い込んだのではない。一つ一つは合法でありながら、全てを合わせると律令の精神から逸脱するという政治を作った。分配された農地を耕すのではなく開墾した土地を耕す荘園は、律令の定める税率よりは重い年貢を荘園領主に納めねばならないものの、年貢の負担割合は荘園ではない土地を耕す者に課されている税よりははるかに軽かった。
その結果、藤原摂関政治の200年間で全国的な飢饉は1回のみとなった。奴隷の売買を禁止し、最終的には奴隷制そのものを廃止した。生活水準は目に見えて向上し、人口も増えてきた。それは天然痘で激減した人口からの脱却という側面もあったが、それまで束縛を続けてきた律令から脱却したことが挙げられる。
律令制というのは一種の社会主義であり、統制経済である。格差を無くすために平等を推進し、失業を無くし、教育も、医療も、税負担の少なさにおいても理想的な社会を作りあげた。その結末が失われた180年である。どこにも悪意はない。善意しかない。善意しかないのに最悪の結果を招いたのが失われた180年である。
この過去を振り返るとき、今の我々が体験している失われた30年はどのように誕生したのか、どのように維持されてきたのかの答えが見えてくる。そして、いかにすれば脱却できるのかもまた見えてくるはずである。