衆院選が来月8日投開票となることがほぼ決まった。
高い支持率もあって、高市内閣の与党である自民党と日本維新の会が今回の衆院選で優位に立つと見られていたが、ここに来て新たな勢力が誕生して、そこまでの与党圧勝とはならないのではないかという観測が出てきた。その新勢力こそ、公明党と立憲民主党が合併してできた中道改革連合である。もっとも、参議院や地方議会では公明党も立憲民主党も残存するので、文字通りの政党合併とは言い切れないところもあるが、それでも前回の衆院選や昨年の参院選で立憲民主党と公明党が獲得した得票がそのまま中道改革連合に加わったなら、衆議院の第一党は中道改革連合となるという計算もある。
あくまでも机上の計算では、の話であるが。
さて、この新政党が自称する「中道」、これは右でも左でもないという自己主張であるが、そもそも政治思想における右や左とはどのような意味を持っているのか?
ジョナサン・ハイトは複数の視点から人間の道徳感覚が形成されているとしている。すなわち、
- ケアと危害
- 公正と欺瞞
- 忠誠と背信
- 権威と転覆
- 神聖と堕落
といった視点から道徳感覚が形成され、思考を形成するとしている。
ここで左は革新的で右は保守的と考える人は、上記の道徳について賞賛される道徳を全て身につけているのが革新的である左で、道徳を保持していないのが保守的である右であると考えるであろう。すると、中道とは上記の道徳について中立的態度に徹するということになるであろう。もっとも、行きすぎた道徳の押しつけが社会を悪化させることは戦前戦中の愛国婦人会の行動を見れば答えは容易に出てくる以上、中立的態度なのは間違っているとは言えない、と、左は革新的で右は保守的と考える人は結論づけるであろう。
ただ、ジョナサン・ハイトの出した解はそう簡単なものではない。左は上記の道徳のうちケアと公正に過剰に軸足を置く一方で他の道徳については無思慮あるいは不道徳であるのに対し、右こそが全ての道徳についてバランスよくとっているとしている。
それだけでなく、 人間に存在するグループ志向が、宗教、政党、チームといったグループへの帰属意識を高め、協力性が高まる一方で、他集団への敵対心も強まり、対立が激化しやすいとしている。 この国は「革新」が排他的で古くさい考えの集団を意味する言葉になり、「リベラル」も排他的で古くさい考えの集団を意味する言葉になった。そこで新しい概念として「中道」を持ちだしたのであろうが、結局のところは同じとするしかない。自分の正義を絶対正義とし、排他的になり攻撃的になる。
実は本書について当ブログで取り上げるのは二度目である。一度目に取り上げたエピソードはここでも参考になるであろう。
自分のことをリベラルと自認する人が、自分と考えを等しくする仲間を募ろうとした。
その人が考える自分の仲間とは、知性が高く、自由を愛し、豊かさを愛し、平和を愛し、環境問題にも熱心で、全ての差別を許さず、人権意識も高く、格差問題の解消のための税制改正も訴え、教育費の公費負担も医療費の公費負担も同意するという人である。
その結果、リベラルを自認する人の周囲には物の見事に、それまでその人が敵と考えてきた保守的な人が集まった。
「戦争と平和とどちらが素晴らしいと考えるか?」
- 保守:保守=平和,中道=平和,リベラル=平和
- 中道:保守=平和,中道=平和,リベラル=平和
- リベラル:保守=戦争,中道=戦争,リベラル=平和
「社会福祉をどう考えるか?」
- 保守:保守=重要,中道=重要,リベラル=重要
- 中道:保守=重要,中道=重要,リベラル=重要
- リベラル:保守=弱者は切り捨て,中道=弱者は切り捨て,リベラル=重要



