2022年2月24日木曜日、ロシアのウクライナ侵略が始まった。
侵略は早々に終結し、首都キーウ――当時はキエフという人が多かった――は陥落して、元コメディアンの大統領は国外脱出するであろうというのが多くの人の予想であった。
その予想は外れた。元コメディアンの大統領はキーウに留まった。
それだけでなく前線にも顔を出し、ロシアはウクライナを制圧するどころかウクライナの抵抗の前に太刀打ちできなくなり、今や逆にモスクワにウクライナのドローンが飛び交う時代になっている。
誰がこの情勢を予想したであろうか。
本書は岩波新書として観光され話題となった「独ソ戦:絶滅戦争の惨禍」の著者でもある大木毅氏の著作である。混迷を極める現代において、理性と史実を武器にいかに俗説の狂騒に抗うかを示す、静かなる、しかし力強い宣言書である。本書は、現在進行中のロシアによるウクライナ侵略戦争から、第二次世界大戦、さらには旧日本軍の組織論に至るまで、多岐にわたるトピックを実証主義という一本の糸で繋ぎ合わせている一冊である。
本書は2023年7月刊行の一冊である。すなわち、ロシアが侵略を始めてから1年半という時点で世に送り出された本書は、2023年時点のウクライナ侵略戦争の考察として最も詳しく、わかりやすいものがある。著者自身は安全保障の専門家ではなく第二次世界大戦を専門とする歴史家であることを強調しつつも、戦史研究で培った軍事的合理性の視点からロシア軍の失敗を冷徹に解剖しているのである。その上で、ロシア軍の最大の誤算として、開戦直後に重点を形成しないまま多正面から同時に押し込むという、非合理的な作戦計画を挙げている。著者は本書において、軍事の常識で従えば、敵の防空システムを無力化した上で航空優勢を確保して戦力を集中させるべきであるのに、ロシア軍がそれを怠ったと指摘するのだ。これは、ウクライナ軍の抵抗を軽視し、短期間でのゼレンスキー政権崩壊を信じ込んだプーチン政権の政治的思い込みが、軍事的な合理性を圧倒してしまった結果に他ならない。
さらにロシアのウクライナ侵略は、ロシアとウクライナの社会システム全体のレジリエンスを試す負荷試験として捉えることができるとしている。近代戦とは、単なる前線の兵火のやり取りではなく、国家の経済力、技術力、そして国民の意志といった総体的な能力を試す場となっているのだ。著者は、ウクライナがこの試験に合格するか否かが、戦後日本の国際秩序にも重大な影響を及ぼすと警告し、われわれ自由主義諸国もまた、ウクライナを支援し続けることでこの負荷試験に参加しているのだと説く。
そのあとで著者は専門とする独ソ戦の知見を本書で述べている。現代の戦争を理解する上での強力な補助線であり、独ソ戦における絶滅戦争の論理や、イデオロギーが軍事的判断を歪める過程は、現代のロシアが「ネオナチ」からの解放という虚偽の物語を掲げて侵略を正当化しようとする姿と不気味に重なり合う。
ここで著者が一貫して批判の矛先を向けているのが歴史修正主義である。それは、単なる新事実の発見による歴史の書き換えではなく、政治的・情緒的な動機に基づいて、都合の悪い史実を無視したり、恣意的に解釈したりする行為を指す。趣味の歴史修正主義が跳梁跋扈する現状は、現代のウクライナ戦争を巡る情報の濁流においても、われわれが陥りやすい罠であると注意を促している。
本書を通じて流れる根底のメッセージは、軍事・戦争はファンタジーではない、という一点に集約される。戦史や軍事学を、単なる兵器のスペック比較や格好良い作戦の物語として消費するのではなく、そこにある物理的な制約、兵站の苦労、そして人間の血が流れるという現実を直視しなければならない。
その延長線上で著者は、コロナ禍における「戦争」というアナロジーの安易な使用を戒める。軍事用語を安易に社会現象に当てはめることは、事態の本質を誤認させ、非合理的な精神論へと国民を誘導する危険性を孕んでいるからである。歴史家として実証主義を貫く著者の姿勢は、こうした言葉のインフレに対する強力な防波堤となっている。
本書は、単なる知識の提供にとどまらず、歴史とどのように向き合うかという姿勢そのものを問いかけてくる。ウクライナで砲声が響き、情報の狂騒が渦巻く現在、我々に必要なのは、安易な物語に逃げ込むことではなく、大木氏が示すような冷徹な理性と史実への謙虚さを持って現実を直視することなのである。












