本書は、万博の目玉として建設されたエッフェル塔がどのようにしてパリの、フランスの社会に溶け込み、歴史に於いてどのような役割を果たしてきたかをまとめた一冊である。
ただ、その程度のありきたりな文章では本書の魅力を伝えきれない。
本書の魅力は本書の一部抜粋だけでも御理解いただけるはずである。
1940年5月、ナチスドイツがフランスへ侵攻。マジノ要塞でドイツ軍を食い止める戦略を採っていたフランス軍であるが、ナチスドイツはアルデンヌの森から戦車部隊を投入したことでフランスの防衛戦は崩壊。6月には首都パリにナチスドイツが無血入城し、エッフェル塔に掲げられていた国旗は降ろされた。
と同時に、エッフェル塔のエレベータが停まった。
1台だけではない。全てのエレベータが停まった。
工兵が修理しても、エンジニアを呼び寄せても、エレベータは1台も動かないまま時間だけが経過した。
エッフェル塔そのものがナチスの支配下に置かれ、エッフェル塔に上り下りできるのはナチスドイツの兵士とナチスの関係者だけになった。その全員が、エッフェル塔の階段を上り下りするしかなかった。エレベータが全く動かないのだ。
当初はただちにエレベータを修理せよという命令でった。それが、ヒトラーがパリにやって来るまでにエレベータを修理せよという命令になり、ヒトラーがパリに来てエッフェル塔の前に来てもエレベータが動かないままであると報告するしかなくなっていた。
ナチス占領下のパリ市民たちはエッフェル塔を見つめるしかできなかった。エッフェル塔はナチスのものになり、多くのフランス人には近寄れない場所になっていた。密かに抵抗するフランス人の救いの一つとなっていたのがエッフェル塔だった。
エッフェル塔はたしかにナチスのものになっている。
エッフェル塔に近寄ることもできないでいる。
それでも、エッフェル塔のエレベータが動かないという知らせは、エッフェル塔がナチスに抵抗していることをフランス市民に伝えるかのようであった。
パリがナチスの手に落ちてからおよそ4年を経た1944年6月、ノルマンディー上陸作戦開始。連合軍の反撃にナチスドイツは撤退をはじめ、それまでナチスの前に抵抗を見せずにいたフランス人も連合軍に呼応して立ち上がった。
情勢は連合軍有利に進み、5月24日、ヒトラーはパリのコルティッツ大将のもとに「パリは、廃墟以外の姿で敵に渡すべきではない」と指令を出した。いわゆる「パリ廃墟命令」である。パリに向かう連合軍と、パリ市内で抵抗するレジスタンスの前にコルティッツは命令を拒否。
8月25日午前0時、連合軍のパリ突入開始、当日正午、エッフェル塔にトリコロールが蘇った。パリ占領の日、エッフェル塔に掲げられていたトリコロールを降ろした消防士自身が、あの日降ろさざるを得なくなっていたトリコロールを手にして、エッフェル塔に赴いた。
この時点ではまだエッフェル塔のエレベータが停まったままである。トリコロールを掲げるためにエッフェル塔にやってきた消防士も階段を駆け上がってやってきた。ナチスの物となっていた間、エッフェル塔は一度もエレベータを動かすことがなかった。
エッフェル塔を取り戻したことに喜ぶ中、工具箱を手にしたエンジニアがやってきた。エンジニアはエッフェル塔の機械室に現れると、数分ほどねじ回しを使ってあれこれといじった。するとどうしたことか、それまで全く動かずに停まったままであったエッフェル塔のエレベータがスーっと動き出したのだ。
ナチスが何をしても動かなかったエレベータをこのエンジニアが直したことは間違いない。しかし、いったいどうやって直したというのか。
エンジニアは言った。「なあに、小さなネジをちょっとばかり締めただけのことですよ」