私は「SE山城京一のドラッカー講座」という作品を公開している。
ドラッカーが訴えてきた内容や著作の内容をベースにビジネスを解説する漫画である。
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しかし、人間ドラッカーについての記載はほとんどできていない。
ドラッカーは終生、異邦人であることを余儀なくされてきた人であった。第一次大戦前にオーストリアにユダヤ系として生まれウィーンに育った。しかし、ドラッカー自身は生後間もなくキリスト教徒としての洗礼を受けたため、ユダヤ人でありながらユダヤ人でなく、キリスト教徒でありながらクリスチャンではない。その上、第一次大戦でオーストリア・ハンガリー二重帝国は滅んでオーストリアは共和国となり、ドラッカーは第一次大戦後の困惑したウィーンの都市の空気のもとで思春期を過ごすこととなったわけで、これがドラッカーの生涯を決定づけることとなる。
時代は徐々に隣国ドイツのナチスに飲み込まれていくようになり、ドラッカーの住まうオーストリアもドイツに“自発的な”吸収合併を選んで地図から姿を消した。そして、ナチの基準ではユダヤ人ということになるドラッカーはターゲットの一人となった。実際、ドラッカーの著作はナチによる焚書のターゲットの一つに選ばれている。ドラッカーは故郷ウィーンを捨て、大西洋を渡ってアメリカに住まいを構えるようになる。
それからドラッカーの著述の多くが始まるのであるが、多くの人が捉えるのとは違い、ドラッカーは自分自身を経済学者だと捉えていない。あれだけ経済や経営に関する著作を残しておきながら、ジャーナリストであり、現場の人であり続けた。
「経済人の終わり」「産業人の未来」「企業とは何か」「現代の経営」「創造する経営者」「経営者の条件」と立て続けに著作を送り出したドラッカーは、1969年、世界を圧倒する著作を送り出す。「断絶の時代」である。「断絶」は一瞬にしてトレンドビズワードとなり、世界を席巻することとなった。
そして1973年、ドラッカーは自身のマネジメント理論の体系化に乗り出す。
ドラッカーの代表作ともいうべき「マネジメント:課題、責任、実践」である。
その後もドラッカーは数多くの著作を世に送り出し続ける。ただ、残念ながらドラッカーの書き出そうとした主張の思考の全てを世に送り出せたわけではない。2005年11月11日、カリフォルニア州クレアモントにて95歳で生涯を終えた。長命であったではないかといえど、まだまだ書き記したいことは存在していた。
今に生きる我々はそれを知りようがない。














