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市大樹著「すべての道は平城京(みやこ)へ:古代国家の〈支配の道〉」(吉川弘文館 歴史文化ライブラリー 321)

すべての道は平城京へ: 古代国家の〈支配の道〉 (歴史文化ライブラリー 321)

現在の新幹線をはじめとする鉄道網、あるいは高速道路網を思い浮かべていただきたい。だいたいどこにどのように走っているか想像していただけるはずである。

このルート、実は今から1300年前にはもう大部分が存在していた。無論、例外はある。群馬県から新潟県に向かうのには、現在の上越新幹線新潟駅へ行くのではなく北陸新幹線直江津に向かうルートが1300年前のルートである。それでも、こうした例外を除くと、日本の古代の道路事情はそのまま現代日本の交通事情とだいたい合致する。

しかも、その道路は可能な限り直線であり、横幅11メートルは当たり前であった。わかりやすく言うと、サッカーのPKはゴールから11メートルのところから蹴るのだが、横から見るとゴールからPKマークの間に幅11メートルの長い通路があるように見える。PKのとき、PKマークとゴールとの間にいていいのは守備側のゴールキーパーのみ。そのため、幅11メートルの空間ができあがる。この11メートルの幅の空間がそのまま直線道路となって日本中に張り巡らされるようになったのが古代日本なのだ。

それにしてもどうしてこれだけの道路網を作り出すことができたのか?

これは日本に限ったことではないが、古代とは中央集権国家を目指していた時代であり、中世とは中央集権の建前が消えて地方分権の現実がメインとなった時代である。すなわち、中世の地方分権が始まるまでの日本は、あくまでも平城京をはじめとする首都が日本国全体を統治し、地方を治めるのは中央から派遣された国司であるという構図であり続けていたし、税をはじめとする流通も中央と地方を結びつけることが第一義であった。また、流通だけでなく情報伝達についても、いかに中央と地方とをスピーディーに結びつけるかが最優先であった。

その結果、古代日本の道路は現在日本につながる交通の土台を作りあげた。

本書は古代日本の道路事情、交通事情、情報伝達事情を、現代人が考えるイメージを越えるレベルで存在していたことを書き記す一冊である。かつて、日本の歴史は応仁の乱以後だけ学べば良いと述べた人がいたが、本書によって道路という一点に目を向けるだけでも、今の我々の暮らしは古代から連綿として続いているのだと実感するはずである。