中国の駐大阪総領事である薛剣のSNSへの書き込みの異常さに端を発する中国の暴走は、中国外交部や報道官が高圧的な文章を添付する画像をネットに載せるというわけのわからない事態になっている。
おそらくであるが、高圧的な文章をネットにアップすることで日本はパニックになり、日本が折れる、あるいは日本が暴走すると考えたのであろう。ところが、日本だけではなく世界各国の反応は奇妙なものだった。中国の高圧的な文章を笑い、新しい画像を投稿すると大喜利ネタとしてさらなる笑いを呼び起こすという、謎のムーブメントが起こっている。
これは中国としては不可解な現象としか言えないであろう。
しかし、日本文化に接しているなら,そして世界の潮流を把握しているならば、こうした対応は自然なことなのだ。自分が、あるいは自分達は合理的な人間だと思っているならば、単に自分の本質が見えていないだけである。著者が本書で記しているように、合理的な判断ができずに感情が高ぶって自制心が劇的に低下し、怒りや興奮が合理性を奪った結果が中国外交部や報道官の対応であり、日本をはじめとする中国以外の国の対応のほうが正解なのだ。
中国とその他の国々との対立関係を突き詰めると、人間の本質的な心理に行き着く。
以下は全て本書にある実験とその結果である。
MITの学生に、無料、1セント、 15セントの三種類のチョコレートを提示すると無料のチョコレートを選ぶ人が激増する。
50ドルの時計と5000ドルの時計を見せられると、400ドルの時計が急に安く感じる。
学生が自分で決めた課題提出期限と、教授が強制した期限とでは、学生が自分で決めた課題提出期限に基づく成果のほうが好成績となった。
こうした行動経済学は国際関係においても適用される話である。中国にしてみれば他国にも適用できたことを日本に対しても適用できたと考えたのであろう。日本は無料のチョコレートを選び、400ドルの時計を選び、課題提出期限を自分で決めた学生という扱いなのであろう。だが、条件を突きつけられているのは今や中国のほうなのだ。
本書にもあるように、人は現在を過大評価し、未来を過小評価する。いわゆる現在バイアスである。それを言うと、中国の画像投稿に対するリアクションも未来の過小評価であるとも言える。こうした非合理性はランダムなミスではなく、誰にでも予測可能な形で発生する。だからこそ、本書でも著者が述べているように、個人としては自分の癖を、集団としては人間の本質を自覚し、環境や仕組みで補正する必要がある。
その補正を適用すべき時を迎えている。



