本書にも掲載されているが、アイルランドのダブリンにはジャガイモ大飢饉の記念碑が存在する。アイルランド人にとっては絶対に忘れることのできない惨劇の記録であり、飢饉に苦しむ人を描き出している像を目にするだけで、ジャガイモ大飢饉がいかなる惨劇であったのかをこれ以上無く痛感する。

ジャガイモは世界の主要作物であり、小麦、米、トウモロコシに次ぐ第4位の耕作面積をユウする作物である。上位3位がいずれも穀物であることを踏まえると感嘆すべきところであろう。
かつてのヨーロッパ社会においてこの食物は「貧者のパン」と呼ばれていた。ビタミンC、ミネラル、食物繊維が豊富で保存性が高く、危機時に人々を救ってきたという側面もあることから、まさにジャガイモは受け入れられやすい資質を有していた。有していたがために、冒頭に挙げた過度な依存に基づく災厄を招くこととなった。
御存知のようにジャガイモは元々南米原産の食物である。紀元前5000年には既に栽培されていたことが確認でき、品種改良や技術の進展により、毒抜き、凍結、踏みつけ、乾燥といった手順を経て長期保存が可能な食物となり、アンデスでは主食の地位を占めるまでになった。
そのジャガイモがヨーロッパに伝わったとき、当初は食物と認識されなかった。食用と認識されても家畜用飼料としての役割しか有さなかった。それが18世紀になって栄養面で見直されたことから広く受け入れられた。
広く受け入れられすぎたことで、冒頭に掲げたジャガイモ大飢饉が起こるまでに至った。アイルランドの総人口の四分の一が餓死し、また、生きるためにアイルランドを去るに至った。ちなみに、こうしてアイルランドから移り住むことを選んだ人が向かうことが多かったのがアメリカで、NBAの強豪であるボストン・セルティックスもまた、セルティックすのユニフォームが緑色であるのも、このときのアイルランドからの移民に由来する。
ジャガイモの普及はアイルランドだけではなく、ドイツやフランスでは軍事上の理由から強制的な普及から日常食につながり、東欧や帝政ロシアでは農奴制下の貧民食として定着した。産業革命で人口が増大すると労働者階級の栄養源となり、先に挙げた「貧者のパン」としての地位を確立した。
さらにアジアに目を向けると、チベット王国では仏教僧が持ち込んだジャガイモが地域の貴重な食糧限となった。元々が高山植物であることから同じ高山地域であるヒマラヤでも受け入れられやすかったといえよう。
現在、ジャガイモ生産は中国、ロシア、インド、米国がリードしており、日本は北海道で広く栽培されているものの基本的には輸入がメインである。遺伝子組み換えや病害抵抗性品種の開発が進む一方、気候変動の問題はジャガイモにも襲いかかっており、本書が示す「食のグローバル化」を踏まえた持続可能な農業の重要性の基軸の一つと言えるであろう。



