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ハンナ・アレント著,ジェローム・コーン編,中山元訳「責任と判断」(ちくま学芸文庫)

責任と判断 (ちくま学芸文庫)

社会が全体主義と化して人が人を殺すのを厭わなくなるとき、そこには全体主義特有の社会の空気が存在する。ナチスが、ファシズムが、共産主義が人を殺してきたとき、人を殺して良いと考える空気が全体主義の社会を覆い、多くの人の命を奪い去ることを厭わなくなった。

本書はハンナ・アレントの死後に刊行された一冊である。1961年のアイヒマン裁判を契機に悪の凡庸さを提唱したハンナ・アレントが、ナチスの、そして全体主義社会の経験を踏まえ、いかにすれば人間は再び悪の道具にならないかを問い続けた記録である。死後28年を迎えた後に編者であるジェローム・コーン氏が講義録や草稿から丁寧に編んで刊行されたのが本書であり、本書によってカント解釈と現実批評を訴え、立ち止まって考えることを求める。

アイヒマン裁判の際、多くの人は極悪犯罪者が被告席に立つものだと思っていた。それが、実際に目の当たりにしたのは盲目的に、ハンナ・アレントの言葉に従えば「思考停止」で言われたことをやるだけの小物であった。思考停止が全体主義を可能にし、全体主義の空気に流された結果が被告席に立っているだけであった。

それは21世紀になってから四半世紀という現在になっても代わらない。従来の殺害許容の空気は是正できるようになった一方、フェイクニュースの氾濫は新たな問題を想起する。彼女が言う思考停止は、現代ではアルゴリズムへの盲従やエコーチェンバーとして再生産されている。

無論、思考するだけで悪が防げるのかという疑問、貧困や構造的暴力は想像力では解決しないのではないかという批判もある。教育格差問題が広がっている中でも適用できるのかという問題もある。しかし現在は、科学によって、明瞭な証拠に基づく行動の是正によって、思考を停止して空気に流されるのではなく空気に抗う構造が構築されてきている社会であるとも言える。全体主義の空気を取り払い、人間の本質を発露できる社会構造は、ハンナ・アレントの危惧を減らすことにつながるのではないかと言えるのである。