ウルトラマンの放送開始が昭和41(1966)年であるから、ウルトラマンは来年で還暦を迎える。それだけの長期間に亘って世代を超えて愛され続け、最新作が次々と登場し、世代を超えた共通言語としても通用するまでになったウルトラマン。
倉山満氏は本書において、このウルトラマンシリーズを題材に、日本人の精神性や国家の自立を問い直している。基本的な流れとしては、ウルトラマンという作品がどのようにして生まれ、シリーズとしてのウルトラマンがどの世に成立し、ウルトラマンの各作品がどのように作られていったのかを記している一冊である。その上で、著者は本書において、ウルトラマンを単なる娯楽ではなく、日本人が守るべき神話として位置づけ、過酷な現実を生き抜くためのメッセージがあるとしている。
本書はウルトラマンシリーズ――ただし、初代からメビウスまで――を時代背景とともに振り返り、各作品に潜む自主防衛のテーマを浮き彫りにすることにあ主眼を置いている。第一作であるウルトラマンでは、異星人からの侵略に対する地球人の対応を戦後日本の立場に重ねて解釈し、第二作のウルトラセブンでは脚本家である金城哲夫氏の沖縄体験を基に、侵略者の視点や戦争の記憶を掘り下げることでウルトラマンがアメリカの象徴として描かれる可能性を指摘している。外界からやってきて損得勘定抜きで地球を守ってくれる存在であり、また、侵略する側にとっては厄介極まりない存在となる。
多くの特撮作品と違い、ウルトラマンは人間に擬態している地球外生命体であり、地球人ではないのだ。その異星人が地球のために活躍している。地球人は当事者であるはずなのに協力者になっている。それがウルトラマンシリーズの基本コンセプトである。そこに筆者の歴史的観点があり、思想叙述の題材としてウルトラマンが用いられる。
本書はウルトラマンのファン向けの娯楽書の側面もあるが、著者の政治観や歴史観を投影した論考に近いと言えよう。



