戦中戦後の日本人にとって最も深刻な問題は食糧の確保であった。満員の列車に身動きできずに乗り、農村から物々交換で食料を分けてもらい、一杯の雑炊を求めて10km以上歩き、いつ来るか分からない配給を待ち望み、闇市で正体の分からないものを探していた。飢え死にすることも珍しくない時代であり、その日の食べ物をどうするか悩んでいたのが戦中戦後の状況である。
そのように飢餓の危険と隣り合わせだった時代に、日本人の目の前で豊かな食生活を送っていたのが米兵であった。戦場では大量の食料を前線に運び、進駐軍として日本に来た際には日本人が立ち入れない専用の場所でどんな食料品でも購入していた。日本人はその豊かな食糧事情を目の当たりにしていた。
やがてアメリカの食文化が憧れとなり、日本社会に浸透していった。これを嘆く人もいたが、それは最先端の食文化であり、長らく手に入れられなかった豊かな食文化が目の前に広がっていたため、飛びつかないわけがなかった。
しかし、アメリカの食文化が一面的なものかというと、本書にある通りそうではない。先住ネイティブ、黒人奴隷、移民の影響が織り交ざってできたものであり、複数の文化が混ざり合って生まれた食文化である。ポップコーンやフライドチキン、バーベキューといったアメリカ的な身近な食べ物もそうであり、飲み物に目を向ければ、独立の契機となった紅茶からコーヒーへの移行、そしてコーラの誕生と普及という歴史的経緯がある。
ただし、画一的な面もある。それは画一化することで広く普及しビジネスとして成功したためであり、もし普及が限定的であったりビジネスとしての成功が小さければ、アメリカの食文化は50州それぞれ、さらには州内の郡ごとに独自の文化を見せている。別の見方をすれば、独自に発展した食品のうち画一化に成功したものが産業となり、全米各地や世界中に広がったと言える。世界中に展開するマクドナルドも、もとはカリフォルニア州サンバーナーディノのローカルフードであった。
そしてアメリカは現在も多くの料理を生み出し続けている。日本の寿司がアメリカ料理に取り込まれていることを知る人も多いだろう。国外からビジネスチャンスを求めて渡米する人々が多く、彼らは故郷の料理とアメリカの食材や料理を融合させて新たな料理を次々と生み出している。それが今も進行中のアメリカの食文化である。



