地中海世界は現在も、北のキリスト教、南にイスラム教という構図である。
ただし、東端と西端は現在と異なる。かつてはトルコのあたりがキリスト教である東ローマ帝国であり、スペインやポルトガルがイスラム教である後ウマイヤ朝であった。
西ではレコンキスタによりキリスト教国家の勝利となったが、東はオスマントルコによりイスラム教の勝利となった。イスラム教の勝利の瞬間は、古代ローマ帝国の直系の子孫である国家の消滅でもあり、また、中世キリスト教社会における最大都市コンスタンティノポリスの喪失の瞬間でもあった。
地中海世界を跋扈する海賊の多くはイスラム教によるキリスト教の襲撃であったが、時代とともにキリスト教の盛り返しが進んでキリスト教がイスラム教を襲撃するようになる。ただし、キリスト教社会は一枚岩では無い。東方正教とカトリックの対立に加え、カトリック世界の内部の対立も無視できるものではなかった。キリスト教による団結よりも国家の利益が優先し、国家の利益のためには同じキリスト教の国家ではなくイスラム教の国家と手を結ぶことは珍しくなかった。
さらに、時代は徐々に地中海の中から外に視点が移るようになっていった。東ローマ帝国を滅ぼしたオスマントルコは地中海東部の島々の制圧に乗り出す一方、地中海西部への感心は乏しくなっていき、ジブラルタル海峡がキリスト教によって制圧される。また、キリスト教国家は地中海世界ではなく大西洋に視線の中心が移るようになり、大航海時代を経て新大陸も自らの文化圏に組み込むようになっていく。
その間も海賊による拉致が続いていたが、従来の身代金による解放だけでなく武力による解放も進展し、海賊行為そのものが割の良い商売ではなくなる。さらに人権に対する概念の進展、そして、キリスト教国家によるイスラム教領域の植民地化により、地中海世界から拉致を目的とする海賊が消滅していく。
その後、1856年のパリ宣言で、地中海世界での海賊が厳禁となった。ローマ帝国滅亡から1400年を経てようやく、滅亡前の状態を取り戻すことができたといえる。



