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堀田隆一著「英語史で解く英文法の謎:なぜ「3単現のs」をつけるのか」(NHK出版新書)

英語史で解く英文法の謎 ~なぜ「3単現のs」をつけるのか (NHK出版新書)

I live in Japan.

You live in Japan.

He lives in Japan.

We live in Japan

They live in Japan.

何で、三人称で、単数で、現在形のときだけ、動詞のあとに s をつけるのか? 何で英語にはこんな面倒なルールがあるのか? 英語を学び始めて間もなく出会うこの面倒くさいルールの存在に当惑した中学生は多かったであろうし、いまも多くの小学生が当惑するはずである。

この面倒くさいルールは動詞末尾の s だけではない。不規則すぎる名詞の複数形、スペルと一致しない発音、発音しない文字が含まれるスペリング。これらは、多くの学習者にとって、論理的でなければ納得できる説明もない、ただただ丸暗記するしかない呪文のように映ってしまっている。

しかし、著者は本書において、こうした学習者の素朴な疑問に対し歴史の視点を導入することで、鮮やかな回答を提示している。

そもそも現在の英文法は英語が誕生したときから存在してきたルールではなく、現在の発音も英語が誕生したときから存在してきた発音ではない。歴史とともに発音は変わり、歴史とともに文法は変化してきた。それも、突然のルール変更があったわけではなく少しずつ変化してきたのだ。

たとえば、タイトルにもなっている「3単現の s 」。古英語の時代、動詞の語尾には現在のドイツ語やフランス語のように、人称や数に応じて非常に複雑な変化が存在していた。しかし、英語が歴史の中でアクセントを語頭に置くリズムを獲得するにつれ、語末の音は弱まり、次第に消失していった。その流れの中で、s という音の強固さゆえに、三人称単数現在形という特定のマス目にだけ、かつての複雑な屈折の名残が化石のように生き残ったのである。非英語話者が苦労して覚えるあの s は、今から1000年前、イギリスの歴史で言うとノルマンコンクエストの頃――日本の歴史で言うと院政の頃――の英語が抱いていた壮大なこだわりを今に伝える、歴史の証人なのである。

また、foot の複数形がどうして foots でも footes でもなく feet になるのかという疑問に対しても、本書は磁石 i という比喩を用いて解説している。かつての複数形語尾に含まれていたイの音が、語幹の母音を引き寄せ、単語全体の発音を変化させたというプロセスは、一見不規則に見える変化の中に強固な言語的ルールが貫かれていることを示している。

こうした発音については、こちらのリンク先を見ていただきたい。本書が例として示している、著者自身による古(いにしえ)の英語の発音である。

news.nhk-book.co.jp

 

本書は単なる語形変化の解説に留まらず、英語という言語の性格そのものが形作られた過程にも深く切り込んでいる。

たとえば日本語では主語がしばしば省略されるが、現在の英語に主語の亡い文章はありえない。あるとすれば、強い強制力を伴った命令形だけである。状況を伝えるだけなのに、It rains. のように主語としての意味を有さない主語を立てなければ文とならないのが英語である。だが、かつての英語は、現在よりも主語の省略に寛容であった。主語が無くても文として通用したのである。しかし、前述のように語尾の屈折が消失して「誰が」「何を」「どうした」が語形だけでは判別できなくなった結果、英語はSVOで語順を固定するという戦略を選択した。結果、語順が文の命運を担うこととなり、主語のポジションを空席にしておくことはできず、形式的であろうと主語を立てるというこだわりが定着したのである。

同様に派生したのが do である。do はもともと「させる」という使役の意味を持っていた語であったが、歴史的な勘違いや文脈の積み重ねを経て、動詞の意味のまとまりを維持するための便利な道具へと文法化していったのである。

本書のこうした記述を読むと、英文法とは誰かが机上で作り上げた規則ではなく、生きた人間たちのコミュニケーションの工夫から紡ぎ出された知恵の集積であることが理解できると言えよう。

その一方で忘れてはならないのは、英語という言語はその歴史において、他の言語の影響を強く受けた、いや、受けざるを得なかった言語であるという点である。たとえば、日本語の「尋ねる」に該当する英単語となると、ask、inquire、interrogate といった語があるが、これらはそれぞれ、ゲルマン系、フランス系、ラテン系という異なるルーツを持ち、中世の階層社会を反映したニュアンスの差を現代にまで引き継いでいル単語である。

また、近年注目される単数の they についても、最近のになって生まれた誤用でも、ジェンダー平等を前提としたゼロからの考案でもなく、16世紀から存在した語法であり、18世紀の規範意識によって一度は否定されながらも、現代のジェンダー平等の価値観の中で復活を遂げたものであるという点を本書は挙げている。素地があったからこそ、単数の they は容易に広まったと言えよう。

英語の勉強に苦労してきた人、そして現在進行形で苦労している――私を含めた――全ての人は一度、本書のページをめくっていただきたい。学習の苦労を歴史で補うというのは、生きた言語を学ぶ一つの筋道でもあるのだから。