「××に騙されて」
戦争を知らない世代の上に、生まれたときにはもう戦争をしていたという世代がいて、さらにその上に戦争へと賛成してきた世代が存在する。令和の現在からすると100歳を超えているであろう世代であり、その世代の多くの人はもう鬼籍に入っている。
ただ、もっと前は戦争へ向かう社会を作りだしてきた世代がもっとたくさん生きていた。そして、その人達に「どうして戦争に賛成したのか」を質問することはできた。
その結果は、上記の言葉である。自分は戦争に賛成なんかしていなかった、戦争なんか嫌だった、軍人になんかなりたくなかった、家族を軍隊に持って行かれたくなかった、みんなそう答える。それなのに、社会は戦争へと向かう道を作りあげてしまった。なぜか?
その問いに対する明瞭な答えは無い。しかし、本書はその質問に対する回答の一つである。社会が戦争へと向かうにあたって醸成されてきた空気感を作りだした面々の一つが、本書のタイトルにもある国防婦人会である。
玉音放送の瞬間まで国防婦人会(厳密に言うと、改称後の「大日本婦人会」)の一員として戦争に積極的に協力していた人が、戦後になったら戦争の被害者であると訴える光景は珍しくなかった。本心では戦争に反対していたのに、戦争に積極的な人であり続けた。いったい何が起こっていたのか?
国防婦人会の一員として戦争に協力する姿勢を見せることで気分良くなれたのだ。COVID-19が広まってから2年ほど、マスクをしていない人を糾弾する人がやたら多かった。東日本大震災の後、食糧を大量に買う人を糾弾する人がやたら多かった。阪神淡路大震災の後、千羽鶴を折らない人を糾弾する人がやたら多かった。時代の空気として道徳的に正しいとされることに選局的に荷担することで自らを社会の勝者と位置づけ、他者を糾弾する快楽を得ていたのだ。
仮にこの国がもう一度戦争に巻き込まれるようなことが起こったとき、戦争に反対するのはどういう人か? 今この瞬間も戦争に賛成している人ではなく、社会の空気に流されて道徳的優位性を持とうとする人である。残念ながらそのような人はたくさんいる。気をつけるべきは、戦争に賛成する人ではなく、空気に賛同する人である。