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大森淳郎著,NHK放送文化研究所編「ラジオと戦争:放送人たちの「報国」」(NHK出版)

ラジオと戦争 放送人たちの「報国」

読んでいて気持ち悪くなる本というのはたまに存在する。残念ながら本書はそうした本のうちの一冊である。

著者が悪いのではない。日本が戦争へと向かうにあたってラジオというメディアが率先して日本国内全体を全体主義へと向かわせていたのに、そのことについての反省を何ら見せることなくのうのうとしていることに、その当時の日本国民に戦争へ向かわせ戦争で死ぬことを賛美しておきながら、ラジオ関係者は自分達のことをエリートだと考え、日本のために必要不可欠な人材であるために生き残り続けることを平然として選んでいたことに、ラジオを通じて報じる内容はただただ精神論を振りかざし、科学的根拠の無い誤魔化しに終始していたことに、どうしようもなく気持ち悪くなる。

マスメディアを称して「マスゴミ」と揶揄する向きがあるが、本書を読む限り、申し訳ないがその揶揄は正しい、あるいは、その程度の言質などは揶揄ではなく、マスメディアは国民様から慈悲深き御言葉としてマスゴミという称号を下賜されることを土下座して感謝すべきと言いたくなる。

問題は軍国主義へと向かわせることではない。集団主義に向かわせることなのだ。戦争の賛美が問題なのではない。戦争をはじめとする個の消滅と、集団最優先の風潮を生みだしておいて、自分は安全な場所で命の危機とは無縁の暮らしをしながら、放送を通じて命の喪失を賛美している。命を落とすことで悲しむ人のいることに目を向けることもなく、集団の敵と見做される存在、戦争においては敵国の軍人や敵国の国民、戦争でなければ集団に逆らう存在は、容赦なく敵として糾弾し、その人にも人権があることは全く顧みない。こうしたエリート意識を隠さぬままに大衆から個を喪失させて集団として操作しようとする腐りきった性根が問題なのだ。

本書は戦争へと向かっていった時代におけるラジオ関係者の足跡を追った一冊である。しかし、その矛先を向けるべきはラジオ関係者だけではない。戦後のマスメディアにおいても、政権批判こそが正しい道であるという集団主義を生み出し、政権批判に同調しない者の人権を認めず容赦なく叩き潰し、自分達の攻撃は全て許されるが自分達への反撃はいっさい許されないという腐りきった意識が存在している。何のことは無い。今も昔も変わっていないのである。

その腐りきったエリート意識が消えない限り、本書に記した過ちは何度でも繰り返されることとなる。唯一の希望は、情報化社会のさらなる進展によって、マスメディアの報じる虚構を大衆が過ちであると知ることのできる社会を構築することである。