昭和50(1975)年の本だが、現在と変わらぬ問題がそこにはあった。と同意に、本書には記されていない大問題が、現在には存在するのだと痛感させられる一冊である。
それは、正規・非正規の格差問題。
トマ・ピケティが21世紀の資本として格差の拡大を著したのち、アンサーソングならぬアンサー論文が数多く登場し、それらの論文が「ピケティ以後:経済学と不平等のためのアジェンダ」(青土社)としてまとめられた。
同書には差別を前提とする経済の存在を指摘する論文が掲載されている。
がそれだ。
第6章は人種差別、第9章は性差別、第15章は雇用形態の違いという差別を扱っている。この3点を差別に対する倫理を完全に捨てて人件費という視点だけで捉えると、安価な給与の雇用に行き着く。雇う側にとっては出費を減らすことができると同時に、雇われている側にとっては既得権になっている。
人件費の削減が資本家の懐を潤すとしか考えないのは短絡に過ぎる。人件費の削減は販売価格の削減につながり、安価販売という消費者還元につながっている。
この社会情勢下で一定の収入を定期的に確保することに成功している者は既得権益受益者になっている。
塩沢美代子、島田とみ子両氏が「ひとり暮しの戦後史」を著した昭和50(1975)年当時は狂乱物価としてインフレが問題になっていたが、それから46年が経過した現在、インフレという言葉は耳にすることなく、モノの値段は下がり、それでいて社会全体が貧困に陥っている。
ここから先は「ひとり暮しの戦後史」を著した両氏が激怒する内容の書き込みになるが、書かずにいられない。
あなた方が本書で指摘した社会問題を解決するためにとった施策の結果が、現在の社会全体の貧困、格差の拡大、正規/非正規の待遇の差別を生みだしているのではないか。
戦争で苦労した、戦後も苦労した、そうした方々にとって暮らしやすい社会にするために、男女差別は減ったものの埋まることはなく、正規/非正規の待遇の差別が生まれ、就業は本人の能力ではなく卒業時の経済状況で左右されるという社会を作り上げてしまったのではないか。
今後、世代間格差を無くそうとする動きが出てくるであろう。正規/非正規の格差を無くそうとする動きも出てくるであろう。
そのときに必要となる議論は、「これからどうするか」ではなく、「これまでのことをどう償うか」である。
最低でもこれまで押しつけられてきた苦労に対する見返りは必要である。