德薙零己の読書記録

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坂野潤治著「〈階級〉の日本近代史:政治的平等と社会的不平等」(講談社選書メチエ)

〈階級〉の日本近代史 政治的平等と社会的不平等 (講談社選書メチエ)

戦前の日本はなぜ戦争へと突き進んでしまったのか。

この問いに対し、このように考える人達がいる。「平和を愛するリベラルな人達の抵抗も空しく、戦争を求める保守的な人達がこの国を戦争へと向かわせてしまった」と、自らがリベラルであると自負する人達の多くはこのように考え、「だからこそ、我々リベラルは、この国をあの時代に戻さぬよう、ありとあらゆる手を使って戦争への道を食い止めなければならない」とする。

ところが実情は全く逆なのだ。戦前の日本にも保守とリベラルとの対立があったが、戦争に反対したのは保守で、リベラルはむしろ戦争を絶賛し、この国を戦争に向かわせていた側なのだ。このように書くと、あの時代のリベラルと現代のリベラルは違うとか、現在のリベラルは護憲を掲げるがゆえに戦前の保守と連なるとか答えるであろうが、その反論も残念ながら全く通用しない。現在の保守と戦前の保守、現在のリベラルと戦前のリベラルは連続し、かつ、同一思考である。そして、保守が平和を求め、リベラルが世相へと突き進んでいるという構図も完全に合致するのだ。

どういうことか?

現在でも同じことを言えるが、戦前にも格差はあった。いや、格差については戦前のほうが甚だしかった。そして、格差縮小を求める声は大きかった。問題は、具体的な格差縮小を求める動きと、格差縮小のための一発逆転を狙う動きとの対比だ。戦前は男性しか選挙権がなく、大正時代までは一定以上の税を納めなければ選挙権を得られない制限選挙であった。現在からすると不完全ではあるが、明治時代から徐々に政治的不平等が解消されていく過程で社会的不平等が社会問題として認知され、社会問題を解決するためではなく、社会問題の存在そのものが政権批判の材料として利用されるという構図が如実になっていった。ここで重要なのは、社会的不平等の解消を求めるのではなく、社会問題に視線を向ける自分達を称揚し、社会問題を放置する政権を非難することに終始ししたことである。もっと言えば、非難する側の人間はむしろ社会的不平等の勝者の側に位置しており、終始上から目線で社会問題を糾弾しておきながら、彼らが言うところの「弱者」を助け出そうとすることも、ましてや自分達と同等の社会的地位を獲得することも是としなかった。自分の社会的地位は高いままであることが大前提として存在し、その上で、口では社会的弱者の救済を求めるのだ。

この構図は現在も何ら変わらない。ピケティの言葉ではないが、バラモン左翼はいつの時代にも存在するのだ。