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戸部田誠(てれびのスキマ)著「フェイクドキュメンタリーの時代:テレビの愉快犯たち」(小学館新書)

フェイクドキュメンタリーの時代 ~テレビの愉快犯たち~(小学館新書)

昨日投開票された兵庫県知事選挙で斎藤元彦氏が再選した。

テレビや新聞といった既存メディアでは斎藤元彦氏に対するマイナスイメージの報道が繰り広げられた一方、ネットでは斎藤元彦氏に対する客観的な報道が広がっていた。その結果が斎藤元彦氏の当選であったと言えよう。世代別の投票行動を見ても、既存メディアに接している世代では斎藤元彦氏への投票割合が少なく、テレビをはじめとする既存メディアへの接点の低い世代では斎藤元彦氏への投票が増えているという、わかりやすい構図も成立していた。

それにしても、テレビを観なくなって久しいというが、ここまでわかりやすい結果になるとは想像もできなかった。

かつて、テレビは娯楽の王様であり、メディアの中軸であった。今はその地位を失っているが、テレビはそれでもテレビは影響力のあるメディアである。特定のテレビ番組が世間の話題を誘い、特定のテレビ番組が社会現象となり、特定のテレビ番組を観ていることが当たり前という社会の風潮は今も存在する。これは否定できない。玉石混淆は今も昔も変わらぬテレビの有り様であるが、現在は玉石混淆の玉の割合がかなり少なくなっているとも言えるのだ。

つまらないとされているテレビ番組と、社会の風潮となるテレビ番組とでは何がどう違うのか? 

端的に言うと、学力である。つまらない番組は頭が悪い。番組製作サイドが視聴者の知力を低く見ているのか、それともそれが番組製作サイドの限界なのか、視聴者としては番組内容の頭が悪すぎてついていけなくなっている。観ることが苦痛になり、わざわざ学力を下げてテレビ番組に付き合うより、テレビを消して自らの学力に応じたコンテンツに接するほうがまだ快適である。

一方、本書で挙げられているテレビ番組は、観るのにある程度の学力を必要とする。そのため、快適に視聴できる。テレビ番組を観ることが苦痛とならない。自分の学力に応じたコンテンツであり、純粋に愉しめる。

本書で取り上げているフェイクドキュメンタリーの番組の数々は、おそらくゴールデンタイムに放送されることのない番組である。本書の中でもゴールデンタイムへの放送時間変更を番組終了の終わりの一つとして挙げている。これが現在のテレビ番組が置かれている状況の現実とも言えよう。