2023年、𝕏(旧Twitter)に新しい機能が登場した。コミュニティノートである。玉石混淆ではあるが、コミュニティノートにおける玉の割合は想像以上に高い。
なぜか?
根拠に基づき、事実を指摘するからである。コミュニティノートが取り上げている根拠が間違っていることもあるが、多くの場合は間違っている𝕏の投稿や問題のある𝕏の投稿に対し、コミュニティノートで事実を指摘することで、𝕏の投稿を訂正する機能になっている。
これは理論ではなく感情で発言する人にとってあまりにも大きな痛手だ。
COVID-19のワクチンの危険性を訴える人。
放射能の危険性を訴える人。
ロシアのウクライナ侵略を肯定する人。
いずれも理論が無い。感情だけで現実を無視した言論を繰り返す。指摘されても無視するか、あるいは話を逸らす。そして、自分の見たいものだけをあると信じ、存在しなければ無から捏造し、自分があるべきと考える光景を訴える。しかもそこにあるのは、自分が被害者であり、正義感であり、普遍の真理を説いているという高慢な思考だ。
その意味でコミュニティノートというのは、発言主に対して、被害者でも無ければ、正義でもなく、ましてや普遍の真理ではないと真正面から訂正させる機能である。理論が感情を凌駕し、感情で発言してきたことを全否定する、しかも、その発言が誤りであったことを全世界に拡散する、恐ろしい仕組みだ。
本書ならびに本書の著者は、本書が糾弾する人から激しく攻撃されている。それは本書が、客観的事実による感情の否定を説いているからにすぎない。自分が被害者だと自覚してきたことが、自分が正義と信じてきたことが、自分は正しいことをしているという自覚が、全て誤りであったと証明されてしまうとき、人は果たして、自我を保っていられるであろうか。



