德薙零己の読書記録

お勧めの書籍や論文を紹介して参ります。

おじいちゃんといっしょドラッカー講座朱夏の陽炎

マイケル・ヘラー&ジェームズ・ザルツマン著,村井章子訳「Mine! 私たちを支配する「所有」のルール」(早川書房)

Mine! 私たちを支配する「所有」のルール

以下の場面を思い浮かべていただきたい。

新幹線の指定席を買ったのに、自分が買ったはずの席に他の人が座っている。最初は疑問に感じるだろう。金を払って指定席を買ったのにどうして他の人が座っているのだと。そして話しかける。「席を間違えていませんか」と。それに対し、座っている人がこのように答えたらどう思うか? 「そんなの早い者勝ちだろ?」と。

また、次のような場面を思い浮かべていただきたい。

大学生となり大学近くのアパートで一人暮らしをはじめてからしばらくして、アルバイト代で本を買ってアパートの自室に置いておいたら、留守中に親がアポ無しでやってきて、許可なく作った合い鍵で勝手に部屋の中に入ってきて勝手にマンガを捨てた。そのことを問い詰めると、親はこう言ってきた。「お前のためを思ってのことだ」と。

どちらも理不尽な話であるし、ほとんどの人は怒るであろう。買って手にしたものを勝手に奪われたのである。しかし、奪った側は理不尽とは考えない。前者は早い者勝ちで正当な権利を手にしていると考え、後者は親として正当な権利を行使したと考える。

これらはわかりやすい例であるが、所有権というものはそう簡単に白黒付けることのできるものではない。現在であれば女性であろうと男性と変わらぬ所有権を得られるが、かつてはそのような平等など概念とすら存在しなかった。コロンブス以降数多くのヨーロッパ人が南北アメリカ大陸に移住し、国家を打ち立て、法による所有権を明文化したが、その法で所有権を得られたのは白人男性のみであり、前から住んでいた人も、奴隷として連れてこられた人も、所有権は得られなかった。自分の意思で移住した人であってもアジア人は所有権を得られなかった。

こうなると、正当な所有権というものが怪しくなる。当時の法律では法的に許されているが現在では許されないという権利や制度は珍しくない。そして、かつては許されていた所有権が時代を減ることで許されざる所有権となったとき、その所有権は誰のもとに委ねられるべきか?

本書は所有権に関する諸問題をまとめた一冊である。その中には明らかに通用しない名目での所有権主張もあるが、多くは簡単に白黒付けるなどできない複雑なものである。

それまで思いを寄せることもなかった所有権の複雑な問題を、本書に目を通すことで自覚することとなるはずである。