德薙零己の読書記録

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村瀬信一著「名言・失言の近現代史 上」(吉川弘文館)

名言・失言の近現代史 上  -1868-1945- 歴史文化ライブラリー

明治23(1890)年11月29日、第1回帝国議会が始まった。現在まで続く議会主導による国家統治のスタートである。ただし、現在のように両議員の全議員が選挙によって選ばれたわけではない。選挙によって選ばれるのは衆議院議員のみであり、もう一方の議会である貴族院は選挙の洗礼を経ることがない。

また、衆議院議員は選挙で選ばれるといっても、その選挙に投票できるのは現在と違い、25歳以上、男性、直接納税15円以上というごく一部の人しか投票できない制限選挙である。この時代の15円は現在の60万円から70万円に相当する。現在の感覚で行くと年収1000万円以上でなければ選挙に一票を投じることができないといったところか。ついでに言うと、秘密投票ではないので誰がどの候補に投票したかまで把握できてしまう。

それでも議会という議論の場で国政が動くことになったのは画期的なことであった。それまでは議論ではなく武力と権威が政策を決めて国家を運営する基盤であったのが、議会開設以降は議論が国家を運営する基盤になった。

本書は、大日本帝国憲法下における議論の流れをまとめた一冊である。ちなみに、日本国憲法制定以降については来月刊行予定であり、既に予約が行われている。

さて、本書にてとりあげられているのは帝国議会を主軸とする議論であるが、帝国議会に限らず議会制における議論というのは、自らの思いを伝えるよりも先に、自らの意見に対する同意を求めるための議論となる宿命を持つ。

なぜか?

一個人に権力が集中するのではなく同じ意見を持った者を集めることが議会における主導権を握る根幹となるからである。議論を訴える先は議場に詰めかけている議員とは限らない。いや、議員ではなく議会の外にいる有権者に向けての議論となる。それはパフォーマンスを伴うことも多く、よくある光景として政権を手厳しく批判し、政権を追及する自らの姿を広く喧伝することが主目的になっている。

第一次護憲運動における桂内閣への手厳しい批判は今も歴史の教科書で取り上げられている内容であるし、軍国主義に向かっている渦中において軍部批判を繰りひろげた昭和11(1936)年の斎藤隆夫議員による演説、いわゆる粛軍演説は今もなお著名である。

一方で、現在と変わらぬ光景も帝国議会には目にできる。当時の若槻禮次郎首相は「嘘つき禮次郎」と批難され、昭和恐慌下で金解禁を断行した井上準之助蔵相は、金解禁が失敗であったことを最後まで認めることなくこの国を破壊していった。議論によって政権を獲得したことがその根拠であり、井上財政を続けていた民政党はまさに議論によって次の選挙で敗れた。このあたりの光景は今と変わらない。

本書は、現在と変わらぬ場面が戦前にはあったこと、大正時代にも、明治時代にもあったことを指し示す一冊である。