德薙零己の読書記録

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リチャード・セイラ―著,遠藤真美訳「行動経済学の逆襲 上・下」(ハヤカワ文庫)

行動経済学の逆襲 (早川書房)

行動経済学の逆襲 下 (ハヤカワ文庫NF)

そのスキー場の経営難の理由は誰の目にも明かだった。

値段設定がおかしい。安すぎるのだ。

とても素晴らしいスキー場なのにどうしてこんな値段でやっていけるのだろうかと誰もが思っていたが、その答えは「やっていけないので倒産寸前である」というものであった。

値段がおかしいのだから値上げすればいいとなるのだが、そうはいかなかった。

このスキー場は住宅地から近いが、その代わりに狭いのだ。

住宅地から離れたところに値段は高いが広々としたスキー場があり、値段を上げてしまうと顧客がそちらのスキー場に流れてしまうのだ。

おまけに、住宅地から近いためにこれ以上のスキー場の拡張は不可能だった。スキー場を広くし、スキーリフトを増設すればライバルのスキー場に対抗できるかもしれないが、それは選択肢として許されない話であった。

値上げを感じさせない値上げという方法はある。

たとえば小売店で見られるように、5個セットで400円を8個セットで500円にするという値上げの方法がある。

単価で見ると1個あたりの値段は安くなるから値上げは感じさせない。1セットあたりに要する人件費が変わらず、1個あたりの原価上昇が30円に収まるなら、1セットあたりの店の売り上げは値上げによって増えることとなる。もっとも、陳列可能なセット数の減少や増量による陳列棚の見直しも経費として必要だが。

このように、増量したり、サービスの内容を増やしたりして、値上げをやむをえないと感じさせる方法を誰もが選べるわけではない。

それでも、事実上の値上げに成功したところはある。以下は、本書に実際に記されている事例である。すなわち、値上げが許されないスキー場が選んだ、値上げを感じさせない値上げの方法である。ただし、金額はドルではなく日本円に書き換えた。スキー場というのは元々リピーターを生みやすい施設である。その上、そのスキー場は住宅地に近いことを売り物にしている。そのため、狙うとすれば近所の人たちをリピーターとすることである。

値上げした上でリピーターを増やす?

どうやって?

そのスキー場が選んだのは、スキーリフトの1日自由チケットであった。

そのチケットを買えば、スキー場内の全てのスキーリフトが1日中利用し放題となる。

今までのこのチケットはあまり注目されていなかった。利用客のほとんどはスキーリフトを使うたびに利用料を払っていたのである。

スキーリフトを利用するたびに利用料を払うので行列ができる。行列に対応するために販売員の数を増やしているが、それでも行列をさばききれていない。

利用者は「安いから仕方ない」と思ってはいたが、不満の声は挙がっていた。

スキー場はスキーリフトの1日自由チケットを宣伝することにした。

乗り放題なだけでなく、販売窓口の行列も不要というのは宣伝効果として充分だった。

スキー場のアピールはそれだけではなかった。新しいチケットを2種類売り出したのである。

スキーリフトの1日自由チケット5枚分の値段で購入できる6日分チケットと、8枚分の値段で購入できる10日分チケットである。6日分チケットは6回、10日分チケットは10回、シーズン中のスキーリフトが1日乗り放題になるというチケットだ。それらが5枚分、あるいは8枚分の値段で買えるとなるとお得感が増す。実際、この新しいチケットはよく売れた。

このチケットには一つの制約があった。有効期限はシーズン内であり、次のシーズンに持ち越すことはできない。もっとも、救済措置はあって、前シーズンに使い切れなかった分の残りは、新シーズンにもう一度セットチケットを買うと使えるのだ。

たとえば、10日分のチケットを買ったが7回しかスキー場に足を運べなかった場合、何もしなければ残る3回は有効期限切れとなる。

しかし、翌シーズンにセットチケットを買えば有効期限切れの3回も使える。

仮に6日分チケットを買えば事実上9回分となる。


さて、前年7回しかスキー場に足を運べなかった人が新シーズンに9回もスキー場に足を運べるであろうか。

その人はかなりの可能性で今年度のセットチケットを余らせる。余った分の有効利用を考えると次の冬にもまたセットチケットを買うことになるだろう。

繰り返すがスキー場は全く値上げをしていない。それどころか、スキー場がしたのは値下げだ。

さらに、このスキー場は、公表していない値下げも用意することとした。

それは、次回有効となる半額チケットである。

公表されないで配布されるこの半額チケットに対する利用者からの不満は全く生まれなかった。

半額チケットを配るのも仕方ないと誰もが考える事情を用意した上で配ったのである。


スキー場というのは、一年間フルで営業しているわけではない。初雪が降ってはじめてその冬の営業の見通しが立ち、ある程度の降雪があってはじめて営業が可能となる。

降雪量が少ない場合は滑走可能なエリアが絞られる。

滑走可能なエリアが絞られている時期に来場した方に、「現在は降雪量が少ないのでリフトが一部しか利用できません。お詫びといたしまして、次回のご利用の際にリフト1日自由チケットを半額で購入できる優待券をおつけいたします」としたのである。

巧妙なのは、その半額チケットを配ったのがリフト1日自由チケットの販売ブースのみということである。セットチケットの購入者や利用者は配る対象にならないのだ。

ただし、まだ雪が少ない時期にスキー場に来る人というのは既にヘビーユーザーである人であることが多い。

シーズンに何度もスキー場に来る人は、10日分のチケットを使い切る人である可能性が高い。セットチケットのうちの1回分を今日ここで使ってしまうより、今日は1日自由チケットを買って次回は半額で買い、3回目からセットチケットを使おうと考える人は多かった。

10日分チケットは1日自由チケット8枚分の値段である。割引率で言うと20%。ここに、1回の定額購入と1回の半額購入が加わると、12回の来場で1日自由チケット9.5枚分の値段となる。割引率は20.83%となる。これはお得だ。

仮に全利用者がこのような利用状況であったらスキー場は値上げどころか値下げになって経営をさらに悪化させることとなっていたであろう。

しかし、スキー場の経営は事実上の値上げによって回復することとなったのである。

セットチケットの利用状況をまとめてみると、平均消化率は60%であった。

もっとも多かったのは、シーズンで6回しか来ないのに10日分の利用券を買ったという人である。

6回の利用で8枚分の値段を払ったのだから、値上げ率で言うとプラス33%だ。

一方でセットチケットで元がとれる利用回数に達した利用者は10%に満たず、割引になった人は5%にも満たなかった。しかも、元がとれない利用回数に留まった人の70%が次シーズンにまたセットチケットを買ってくれたのである。

繰り返すが、この流れにおいてスキー場は全く値上げをしていない。

それでいて事実上の値上げに成功したのである。

おまけに、次シーズンのリピーターも伴って。

(本書掲載のエピソードより。なお、金額は日本円に置き換えた)

 

原著

 

邦訳