ブリタニカ百科事典、オックスフォード英語辞典(OED)、イギリス国民伝記辞典(DNB)というイギリスを代表する三つの事典がどのようにしてできあがったのかを記した一冊である。
と同時にメディアに対する社会の視線の移り変わりを示した一冊である。
現在の我々が高級紙と考える英国の新聞が、その当時は大衆の読み物として見下されている立場であったこと、そして、大衆の読み物は大英帝国を代表する事典(or辞典)に載せるに相応しい出典ではないとする当時の批判である。当時の権威は事典を批判したのだ。
いつの時代も新しいメディアに真っ先に飛びつくのは優秀な若者であり、新しさゆえに理解されることが少なく批判される。しかし、その新しいメディアは程なく世論を形成し、それまでは権威から批判される立場であったのが、時間とともに権威を以て批判する側に代わる。
事典作成の時代のマスメディアは、権力に対して立ち向かい、新しい世界を創世するための世論を作り出す新しいメディアであった。作者としても、読者としても、そこに集うは若き知性であった。
しかし、そのマスメディアが時代とともに権威の側に代わり、作り出す世論は新しいものではなく古いものへと代わっていき、若き知性は真っ先に離れ、残るはそれまでの自分たちが批判していたもの、すなわち、古さ、無意味な伝統、そして権威になった。
いつの時代も、新しいメディアへ向けられる既存メディアからの批判は、その事実を受け入れられないことへの咆哮である。
その咆哮に従ったら何が起こるか?
歴史はその答えとして「衰退」という二文字を記す。
新聞が新しいメディアとして生まれた時代、ブリタニカも、OEDも、DNBも、それまでの権威からは批判を受けた。しかし、それらが生まれる前はフランスなどの他国のあとを追随していたイギリスが、新しいメディアを利用してそれらを生みだしたのを契機に世界をリードする側へと成長した。
世界をリードして、それまで当たり前とされてきた奴隷制度を問題視し、人種、宗教、性別などによる差別といったものは許されないものだとする概念を生みだすきっかけとなった。
もし、あの時代のイギリスが既存メディアの咆哮に屈していたら、歴史はどう衰退したであろうか……