戦前日本の自然災害というと大正12(1923)年9月1日の関東大震災を真っ先に思い浮かべることが多いが、当然ながら、関東大震災よりも前にも様々な自然災害が存在したし、その自然災害は日本だけでなく世界各地で存在していた。
日本が自然災害に襲われるだけでなく、国外での自然災害のニュースを知って救いの手を差し伸べようという動きも誕生していた。それらの動きは純粋に人命を助け出したいという思いのときもあるが、悪化している両国間の関係を改善するきっかけにしたい都考える思惑のときも存在した。それでも、予期せぬ苦難に直面してしまった人達を助け出そうとする動きは、称賛されこそすれ、非難されるものではなかった。
また、直面してしまった自然災害に対していかにして素早く動き、いかにして多くの人達を助け出すかという知識は、自然災害が積み重なるにつれて増していった。自然災害に対する人命救助の、そして生活再建へのスピードを上げることにつながった。例を挙げると、1910年の首都圏をはじめとする東日本の広域で発生した台風による水害に対し、ときの桂太郎内閣はあまりにも無力であった。主立った閣僚が東京から離れていただけでなく、連絡手段も有していなかった。夏季の休暇中ということで別荘で過ごしていたために動きも鈍かった。
また、自然災害によって断絶してしまったために錯綜する情報についても、かつては錯綜を食い止める手段がなかった。これは日本の話ではないが、救出のために軍隊を派遣したら、被災者を火事場泥棒と扱って射殺し、被災地での軍隊の生活のために軍隊が略奪を働くこともあった。さらに同一線上の出来事として忘れてはならないのが関東大震災における自警団の暴走である。彼らのしたことについてはもはやここで記すまでもない。
対比すべきは今年の1月1日に発生した能登半島での地震での岸田首相と岸田内閣、そして、主な被災地となった石川県の馳知事の動きである。とにかく素早い。誤った情報に対して適切なときに適切な情報で訂正している。そして、最も大切なこととして、これ以上は考えられない規模での救援を実践している。避難する向きもあるが、申し訳ないが、避難する方が間違っていると断じるしかない。
人類はここまで進歩している。過去の過ちを教訓として。