おみくじを引くと、和歌が記されていることが多い。中には漢詩が記されていることもある。
どうして詩歌が載っているのかと問われれば、その答えは単純で、そっちがおみくじのメインだから。大吉などの部分だけに目を向ける人がいるが、そちらはメインではないのである。
それにしても、おみくじはなぜ現在も存在しているのか。歴史的位置づけ、経緯、社会における役割は本書に記されているとおりである。ただ、おみくじは御世辞にも科学的とは言えない。合理的とも言えない。しかし、おみくじは現在もなお存在している。
その問いへの答えもまさに本書に書いてある。
ヒントとなるのは関東大震災だ。関東大震災のあと、多くの人が寺社に参詣するようになった。参詣しておみくじを求めるようになった。なぜか?
未来が見えないのだ。
絶望に叩きのめされ、明日がわからなくなったのだ。
関東大震災のあとで参詣するようになった人は、少なくとも参詣できるだけの余裕は取り戻せた人である。被災者の中にはそんな余裕すら失ってしまった人もいる。しかし、自分より余裕がない人がいることと、自分に余裕がないこととは何の関係もない。まさに絶望の最中にあって、それが科学的根拠を有しているものでないと知ってはいても、未来への道標になってくれるおみくじは価値があったのだ。
同じことは今も言える。未来が見えず、展望も描けない。だからこそ、見えない未来にすがりつくためにおみくじを買い求める。決して高い金額ではない。金額だけを考えれば、おみくじを引くことよりも、おみくじのある場所への参詣に要する交通費のほうが高い。それでいて、一瞬ではあっても見えなくなってしまっている未来を見せてくれると感じる。
その効果は無視できるものではない。