德薙零己の読書記録

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藤野裕子著「民衆暴力:一揆・暴動・虐殺の日本近代」(中公新書)

民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代 (中公新書)

1960年代から1970年代の学生運動に青春を過ごした人達が聞いたら激怒するであろうが、あのような学生運動に対して後の世代は抱く感想は、「ああは落ちぶれたくない」である。善と悪という概念で捉えてすらいない。上と下という概念であり、学生運動などは頭が悪すぎて話が通じない低レベルな愚人達の暴動としか捉えていない。無論、学生運動について知らないわけではない。歴史的事実としては知っている。ただ、自分達はそこまで愚かでないから、あんな過去の低脳どもと同レベルまで落ちぶれるわけないと考えているのだ。

本書「民衆暴力:一揆・暴動・虐殺の日本近代」は、それより前の時代の暴動に関する歴史書であり、冒頭に記した学生運動を範囲とはしていない。江戸時代の一揆に始まり、明治維新後の明治維新に対する反発、秩父事件、日比谷焼き討ち事件をはじめとする明治時代の暴動、そして、関東大震災について記している。

もし、学生運動をやってきた人が本書を読んだならば、自分達がやってきたことの過去の姿を知ることになるだろう。特に関東大震災における朝鮮人虐殺は自分達がやってきたことと全く同じであり、学生運動をやってきた人たちの中でもまだマシな、すなわち、学生運動と無関係である人達に比べれば絶望的に劣っているものの、それでもまだ学生運動をやっている連中の内部で比べれば上位20%ほど学力の人達は自分達は何と愚かなことをしてきたのかと反省し、そうでない下位80%ほどの学力の人達は自分達がやってきたことと朝鮮人虐殺が全く同じであることすら気づかず、自分達のやってきたことを棚に上げて糾弾するであろう。

一方で、学生運動をするレベルにまで落ちぶれずにきた多くの人達、すなわち、日本国の圧倒的大多数で、かつ、日本国に生きる人としての平均以上の知力を持つ人が本書を読んだならば、自分達の先祖はこのような愚かなことをしてきた過去のあることを認め、朝鮮人虐殺や学生運動などのような愚かなことは二度とせぬという誓いを強めると同時に、そこまで落ちぶれないという思いを強めることになるはずである。