德薙零己の読書記録

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森達也著「虐殺のスイッチ:人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか?」(ちくま文庫)

本書は2018年に同書名で出版芸術社より刊行された書籍の文庫版であるが、単なる文庫化ではなく、文庫化されるにあたって大幅な加筆修正が加えられている。5年を迎えた2023年までの間に世界が対面したこと、そして、本記事を書いているまさにこの段階で起こっていることも、本作のテーマである「なぜ人を殺せてしまうのか?」の事例になってしまっている。

著者が本書で描いている、「普通の人」が「普通ではない」ことをする暴力性とその深層は、残念ながら紀元前から続いている人間の本性であり、2018年から2023年までの間に新たに事例が付け加えられた事実である。本書で取り上げているのは関東大震災であり、ホロコーストであり、クメールルージュであり、キリングフィールドである。また、本書ではほとんど取り上げられていない大躍進政策や、全く取り上げられていないホロドモールもまた、人類の歴史において無視することのできない現実である。

しかも、こうした虐殺は悪意ある人間の手で繰り広げられた痛ましい記憶ではなく、当時の人達が善意から繰り広げてきたことなのだ。どうしてそのようなことをしたのかと虐殺犯に訊ねても満足いく答えは出てこない。それは正しいことだったと主張するならまだマシで、何も考えていなかった、命令に従っただけ、そういう答えしか戻ってこないのだ。

虐殺に悪意が伴うなら虐殺を食い止めることは不可能ではない。だが、悪意がないと虐殺を食い止めることは難しい。自分は虐殺になど荷担しないという自信がある人は多いであろうが、社会の風潮がそのようになってしまったとき、実際に虐殺に荷担しないでいられる人はいったいどれだけいるだろうかという問題はある。

それは何も時代の政権に阿(おもね)る人達だけではない。政権批判をする人達もまた彼ら内部での風潮に阿り遠慮せず残酷な所業を、今まさにこの瞬間も繰り返していることを忘れてはならない。