德薙零己の読書記録

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グレゴワール・シャマユー著,平田周&吉澤英樹&中山俊訳「人間狩り:狩猟権力の歴史と哲学」(明石書店)

人間狩り――狩猟権力の歴史と哲学

何とも物騒な書名の本である。ゆえに、本書を手に取った人はこのように感じるであろう。「言葉の比喩か」と。

だが、本書のタイトルは比喩的表現では無い。人類がその歴史において繰り返してきた、そして、現在進行形で繰り返している「人間狩り」の歴史を淡々と描き出しているのだ。

古代ギリシャの民は奴隷狩りを行っていた。戦場での敗者は狩られて奴隷となり、スパルタでは領域内に住む人ですらスパルタ兵の訓練の一環として狩りの対象とされた。旧約聖書をめくってもニムロドの物語が登場する。

狩りは何も捕らえることだけを意味するのではない。狩ることで自らの周囲の平穏をもたらすことが狩りである。その意味で、西洋中世世界における頻繁な追放刑もまた狩りである。共同体に有害とされた人は村落から追放され、昼なおくらい森の中に放逐された。この思想は後に魔女狩りを生み出す。

中世が終えても狩りは終わらない。いや、むしろ悪化する。新大陸発見は先住民狩りを、奴隷貿易は黒人狩りを生みだした。全ての人に人権を付与されるべきという思想は不遇の末に奴隷とさせられた人達を救い出そうとしたが、自ら自由を求めて逃亡する人を探し出して元に戻すための狩りも繰り広げられた。

先住民であるという理由で、あるいは黒人であるという理由で人を狩ることを恥ずべき思想であるという考えが広まった後も、人に対する狩りは続いた。貧しき人、外国人、そして、社会の敵とされた人達への狩りだ。ナチスドイツが何をしてきたかを考えていただくだけで意味するところは分かるであろう。

そして、今なお、狩りは続いている。

狩りは権力の発露の一つの様式である。