德薙零己の読書記録

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飯田一史著「『若者の読書離れ』というウソ」(平凡社新書)

最近の若者は……

このありふれたフレーズは古代エジプトには既に登場している。多くは、年長者の若い頃と比べて現在の若者は劣っていることを年長者が揶揄するフレーズであり、このフレーズを口にすることで自らが優れていることを自賛するために用いられる。

このフレーズが読書を軸に用いられる場合、言いたいことは一点にたどり着く。昔の若者は読書をしていたので優れた知性を持っており、その状態で年齢を重ねてきた自分達年長者は優れた知性を持っているのに対し、現在の若者は読書をしないので知的に劣っているという言質である。

本書はその概念を完全否定する。

若者は本を読んでいる。それも、かなり読んでいる。

現在の大人が未成年であった頃と比べて一人あたりの読書量は増えており、日常生活に読書が存在しない若者が減っている。本書は具体的なデータを列挙して読書量の増大を述べており、このデータの前には最近の若者は本を読んでいないというのは根拠無き難癖とするしかなくなる。

それでもこのように考える人がいるのではないだろうか? 「スマートフォンばかり見て本を読んでいない」、あるいは「ゲームばかりして本を読んでいない」と。

この言いがかりについてもデータは否定する。スマートフォンやゲームに時間が割かれているのは事実でも、それでも読書量は増えている。ついでに言えば、購入した本が電子書籍であるならば、スマートフォンは読書のための道具になる。

それでもこのように言うのではないであろうか? 「どうせマンガばかりだろう」と。「読書量が増えたと言ってもマンガが増えただけだろう」と。

こちらの言質も本書は完全に否定する。本書の読書に関するデータにマンガは含まれていない。マンガを読書量にカウントするならもっと増える。若者はマンガしか読んでいないのではなく、マンガ以外の本の読書量が増えているところに加えてマンガも読んでいるというのが現実だ。

それでもなお最近の若者は本を読んでいないと考えるのであれば、それは単に、若者が本を読んでいないと考えるときに思い浮かべる若者像が実在しないイマジナリー若者であるか、難癖を付ける者の周囲にいる若者がたまたま本を読んでいない若者であるかのどちらかである。