德薙零己の読書記録

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ジェシー・ノーマン著,村井章子訳「アダム・スミス:共感の経済学」(早川書房)

アダム・スミスと言えば「神の見えざる手」のイメージがあまりにも強烈であるが、実際には市場原理主義者でもなければ、利己主義の肯定者でもない。それを示しているのが本書である。

本書は大きく三つのパートからなる。一つ目は人間アダム・スミスの生涯、二つ目はアダム・スミスの思想、最後はアダム・スミスの影響である。

アダム・スミスの代表的著作として世界史の教科書にも登場する国富論(諸国民の富)が前述の神の見えざる手の出典ということになっているが、アダム・スミス自身もこのような言質は不本意に感じるであろう。実際、道徳感情論と併読すると、アダム・スミスは自由放任経済を肯定していないどころか、社会の正しさを訴え、不正義への糾弾を繰り返していることを本書は指摘している。

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忘れてはならないのは、アダム・スミスの時代とはアメリカが独立する前の時代であるという点である。生まれたときは故郷であるスコットランドイングランドと完全に別の国であり、併合されるドーバー海峡の向こうはルイ14世の時代であった。そして、アメリカ独立革命を実体験し、生涯を終えた頃はフランス革命の渦中である。そのためアダム・スミスの著作は、独立前のアメリカ社会と本国であるイギリスとの関係を知る同時代史料としても有用な著作であり、革命前のフランスの情勢を国境の外から眺めたときの情景を知る点でも有用な著作である。

話を戻すと、アダム・スミスは女性への差別を認めず同じ権利を持つべきとし、女性のさらなる社会進出を促すようにしている。また、奴隷制を明確に否定しており、奴隷制によって成立している当時の経済に対する批判を繰り返している。現在であれば当たり前のこれらの主張を、アダム・スミスアメリカ独立前という時代で既に展開している。

その上で考えなければならないことがある。そもそもアダム・スミスは経済学者ではなく哲学者である。本書巻末の解説にも、アダム・スミスは人間の科学の一分野として経済を分析したのである。本書を読み終えた後、本書の視点で、かつ、21世紀の現在に生きる我々の視点でアダム・スミスの著作をもう一度読み返してみると違う面が見えてくるはずである。