德薙零己の読書記録

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清水俊史著「ブッダという男:初期仏典を読みとく」(ちくま新書)

一言で言うと、本書が刊行できたことで、この国の言論の自由はまだ死んでいないと言える一冊である。本書あとがきのアカデミックハラスメント部分が話題になってしまったが、その他の部分に於いても、こうであって欲しいと願っていた一人の人間としてのブッダの様相が、一つ、また一つと剥がれていき、かの時代のインドに生まれ、生きた一人の人間としての仏陀の姿が浮かび上がる。

その姿は現代の概念や理念に於いても完全無敵の超人ではなく、時代の中で求められた姿であった。階級差別を否定し、男女差別を否定して、全ての人の平等を説いたのか? トルストイの言葉ではないが、全ての殺生を禁じるがゆえに全ての戦争を否定する平和主義者だったのか? 残念ながら現在の人が善と感じるそれらの要素をリアルなブッダは満たしていない。

熱心な仏教徒は経典に記されたブッダをそのまま受け入れる。矛盾があっても矛盾を内包する解釈を生みだして解決する。学問としてブッダがどのような人物であったかを解釈する従来の仏教研究では、逆にブッダに対して近代的価値観を当てはめてブッダを描き出そうとする。筆者のアプローチはそのどちらとも異なる。同時代のインドにおける典型的な人物像に哲学者としての側面を加えた上で、よりリアルな一人の人間としてのブッダを描き出している。

本書を著した清水氏の深い洞察と学識に裏打ちされたこの本は、ブッダの教えとその影響についての理解を深めるための重要な資源となる。著者のアプローチは、ブッダの教えを新たな視点から見直すことを可能にし、その結果、読者はブッダの真の偉大さとその教えの先駆性を再評価する機会を得ることとなる。無論、仏教に対する基礎知識、特に学問としての仏教学を深く学んでいるわけではない人、例えば私のような人は難解に感じられる内容である。それでも、本書は仏教についての深い理解を求めるすべての読者にとって価値ある読み物であり、その挑戦的な内容は読者の思考を刺激することとなるであろう。