德薙零己の読書記録

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アンジェラ・サイニー著,東郷えりか訳「科学の女性差別とたたかう:脳科学から人類の進化史まで」(作品社)

考えていただきたい。人類の歴史を発展させてきた科学は本来あるべきスピードの半分のスピードであったと。

どういうことか?

これまで科学に携わってきた人物の圧倒的多数が男性である。女性が科学に関係してこなかったのではなく、そもそも入り口に立つことすらできなかったのだ。それどころか、「女性とは~」とか「女性だから~」とかというレッテルが存在し、性別による非科学的な差別が厳然として存在していた。

具体的にはどのような差別が存在していたか。それを記してきたのが本書である。本書のページをめくると、その時代、その学問、その分野において女性がどのように扱われてきたか、特に、どのように誤った捉え方をされ、過小評価されてきたかが検証されている。

特に顕著なのが生物学と進化心理学の分野である。性差に関する長年の思い込みにチャレンジし、固定観念を永続させてきた影響力のある研究や理論を批判的に検証することで、現在に生きる我々を含めた人類がどうして、正しいとは言えないジェンダー理解を形成してしまったのかの文化的・社会的要因を探っている。

原著を読んだ人によると本書の長所のひとつとして、複雑な科学的概念をわかりやすく提示する著者の能力があるという。アンジェラ・サイニー氏は遺伝学、神経科学、進化生物学の複雑な知識を巧みに操り、科学的背景のない読者にも理解できるようにしているというのが原著を読んだ人の感想だ。その感想は邦訳版を読む者にも東郷えりか氏の見事な翻訳によって味わえるようになっている。ただただ感謝するしかない。

説得力のある議論を展開し、初期の研究の限界と、科学的結論に影響を与えた偏見を浮き彫りにする本書は同時に、科学分野における女性の立場に光を当てることで、歴史を通じて女性が直面してきた制度的差別や課題を取り上げている。いや、それは過去のことではなく現在進行形で起こっていることであり、女性であるという理由だけで科学的キャリアを追求する際に遭遇してきた苦闘だけでなく、今なお根強く残る微妙な偏見も浮き彫りにしている。

もっとも、暗い側面だけでは無い。それまで光を当てられることの無かった女性が、科学の分野でスタートラインに立つことができ、公平な競争にチャレンジすることができるようになってきている、それが完全な公平ではないにしても以前と比べれば改善されてきていることを実感する。新しい研究は新鮮な視点を提供し、より包括的で正確な科学的言説への希望を与えてくれる。

東郷えりか氏によって翻訳され作品社より刊行された邦訳版は、全294ページ+参考文献32ページというボリュームであり、この厚さにたじろぐ人もいるかも知れないが、できれば、邦訳された東郷えりか氏による巻末の訳者あとがきだけでも読んでいただきたい。日本語訳の最初の読者でもある東郷氏の文章に、まさに読んでいて感じたことが書いてあるのだから。