德薙零己の読書記録

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近江俊秀著「日本の古代道路:道路は社会をどう変えたのか」(角川選書)

まずはこちらの地図を見ていただきたい。

律令制における令制国の区分けである。現在の感覚からするとおかしな区分けとするしかない。現在の県名で言うと茨城県三重県が、青森県滋賀県が同じ区分けである一方で、茨城県と栃木県が、岐阜県と愛知県が、広島県島根県が別の区分けである。現在の感覚からすると不合理とするしかない。

なぜこのような区分けにしたのか?

次にこの地図を見ていただきたい。

平安時代の道路網である。これを見ると日本の道路が京都から放射状に伸びていることがわかると一方、地域間の道路のつながりが弱いように見える。茨城県と栃木県、岐阜県と愛知県、広島県島根県がつながっていない。

当時の記録を見るとどうやらつながっている道路もあったようなのであるが、公式な道路と認められているわけではなかった。岐阜県と愛知県との間には無数の生活道路が存在していたが公的には存在していないこととされ、公式使節が通ることも許されていなかった。

なお、上図は平安時代の道路網であり律令制導入時点はスタート地点が京都ではなく奈良県であったが、京都と奈良との関係以外は特に大きな違いは無い。当時の首都から全国各地に伸びる道路が張り巡らされているのが当時の道路網である一方、地方と地方とを結ぶ道路網がそこまで整備されているわけではなかった。

するとどうなるか?

徹底した中央集権である。大和朝廷成立時点までは存在していた地方の権力を減らして中央に権力を集め、中央の朝廷が地方を統治する律令制が構築されたのだ。

しかもこの道路はただの道路ではない。最低でも幅11メートル、高さ1.5メートルの整備された道路であり、しかも、可能な限り直線になるように敷かれていた道路である。特に軍隊の移動に絶大な効果を発揮する道路であるが、軍隊にとって都合の良い道路で会っても軍事専用道路というわけではなく、現在の高速道路のように入り口に料金所があるわけでもないため、地域の人も気軽に利用できる便利な道路である。こうなると、例えば市にいくにしても、自分の住まいから直線距離で近いところの市に行くわけではなく自分の住まいから短時間で行くことのできる市に行くようになる。つまり、令制国としては隣であっても移動に時間が掛かるなら別の地域として認識される一方、離れていても移動にさほど時間を要さないなら親しい地域と認識されるようになるのだ。

そして、令制国の段階で敷かれた道路をよく見ていただきたい。その多くが現在の鉄道や高速道路網と一致している。今から1400年前に敷かれた道路は今でも痕跡を残しているのだ。