德薙零己の読書記録

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アダム・トゥーズ著,山形浩生&森本正史訳「ナチス 破壊の経済:1923-1945」(上・下)(みすず書房)

小野寺拓也氏と田野大輔氏が上梓された「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」がかなりの売れ行きを見せている。ネットや一部の書籍で観られるナチスの行動や政策について擁護する意見を、論拠をもとに否定する書籍であり、見事なまでにナチスが良いこともしたという幻想を打ち砕き正しい認識を取り戻す良書である。

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ただし、上記の「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」はナチスの政策や行動に対する伝説を一つ一つ取り上げて、その過ちを論拠をもとに否定するという形式である、すなわち、時系列的にバラバラになるのもやむをえない形の書籍であるために、時系列的にナチスの行動を追いかけるというのが困難である。

そこで本書の出番となる。本書はナチスがどのような経済政策を展開したかを経済史の側面から追いかけた書籍である。と言ってもそのスタートはナチス政権誕生ではなく、それより前のワイマール共和国時代の経済情勢の分析である。これは無意味ではない。なぜなら、どうしてナチスが戦争へと突き進むような経済政策をしてしまったのかの遠因がここにあるからだ。その時代の経済情勢の末に選んだ経済政策がナチスの経済政策であり、ナチスとて国民の苦況を踏みにじる前提の経済政策を遂行しようとしたのではないことは理解できるのである。ただ、理解はできても同意はできないだけなのだ。ナチスが訴えてきた、そして実践してきた方法がことごとく間違いであり、その結果がことごとく失敗であったということを知っているだけでに、何でこんな愚かなことをしたのかと憤慨と諦念から眺めるしかない。

本書は、ナチス・ドイツの経済機構に深く切り込み、政権の台頭と最終的な没落を支えた経済政策と意思決定について綿密な分析を提供する手ごわい著作である。経済的要因と政治的結果との相互作用に鋭い焦点を当てた著者は、世界的な大混乱の時代の複雑な経済状況を俯瞰している。本書に詳しく描写されているが、ナチスの経済政策を時系列で並べると、スタートからして失敗であり、その失敗を挽回しようと略奪に手を染めて失敗を重ね、失敗を取り戻そうと侵略を始めて失敗を悪化させ、どうしようもなくなった失敗を穴埋めしようと戦争という道を選んで取り返しの付かない失敗に至り国家を破滅させるという、よくもまあ、やってはいけないことだけを選んで、これだけの失敗を重ねることに成功したものだと、呆れ半分、憤り半分の感情に至る。

著者はナチスの経済政策を詳細に説明し、さまざまなメカニズムについて卓越した理解を示している。軍備拡張、資源配分、労務管理の間の複雑な関係の探求は賞賛に値する。失業対策としてのアウトバーンは失業対策に効果なく、食糧供給も失敗して国民生活は相変わらず窮乏のままであり、国民社会主義を名乗りながら国民を顧みずに苦境に立たせて平然としてきたことを本書は見事に描き出している。

ナチス・ドイツの経済的基盤について包括的かつ徹底的な分析を提供している。その学際的なアプローチ、綿密な調査、グローバルな視点は、極めて重要な時期における経済、政治、歴史の交わりを理解することに関心のある人にとって、必読の書である。その密度の濃さと、時折社会的影響に焦点を当てないことから、経済学や歴史学の素養がない人にとっては、より読みにくいかもしれないが、人類史上最も暗黒の時代のひとつを形作った経済的要因の複雑な網の目に光を当て、歴史研究における印象的な業績と言えよう。