德薙零己の読書記録

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中川右介「手塚治虫とトキワ荘」(集英社)

「小学一年生」の大ヒットの裏で類似タイトルの雑誌が出るかもしれないと「小学一年生」を商標登録しようとするも、一般名詞なので商標登録はダメ。しかし、小学館はある方法で類似タイトル雑誌の出現を食い止めることに成功した。
その方法とは何か?

正解

「学一年生」を商標登録した。

 

このエピソード、実は戦前の話である。手塚治虫があまりにも神格化されてしまっているために漫画という表現そのものが手塚治虫によって生み出されたかのようにされつつあるが、日本国における漫画は戦前から存在しており、出版社においても貴重な収益源となっていた。ただし、あくまでも数多くの表現方式の一つであり、現在ほどの市場を生み出してはいなかった。

それは戦後も変わることなく、終戦直後から漫画が登場している。紙資源が貴重な時代である反面、戦前や戦中の言論統制から脱却できたこともあって、漫画が市場に流れ出るようになっていた。それこそ、仮に手塚治虫がいなくても今の日本に漫画は存在し続けていたであろうほどに。

ただし、手塚治虫がいなければ現在のような漫画市場も存在せず、テレビや映画でのアニメーションの台頭もなかったであろうし、あったとしても日本製の作品ではなくアメリカをはじめとする他国の作品が日本のテレビ画面や映画館に映ることになったであろう。手塚治虫が偉大であったのは、自分一人だけでなく、漫画という表現方法を選んだ後輩達のために舞台を用意し、彼らの作品がアニメーションとなってテレビや映画に登場するための土壌を用意したことである。その後輩達が市場を拡げてまた新たなる後輩を生み出し続ける環境を用意したことで、マンガ家になりたいと考えた後輩達のために住まいを用意し、作品を発表する場所を用意し、互いに研鑽しあう場を用意した。そのばこそトキワ荘であった。

トキワ荘に住まいを構えたマンガ家達が、トキワ荘でどのような日常を過ごし、どのように作品を生み出していったかについては本書を参照いただきたい。そこには現在の日本のマンガやアニメだけでなく、全世界の新たな表現を生み出し続けることとなった原点が存在している。

そして、このような感想を抱くはずである。

手塚治虫がいなくても漫画やアニメは現在も存在していただろうが、手塚治虫がいなければ今のような隆盛を見せることもなく、細々とした物になったであろう、そして、漫画を入り口とする教育の欠落によって、日本国の、さらには全人類の知性が現在よりもかなり低いものとなっていたであろう、と。