德薙零己の読書記録

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おじいちゃんといっしょドラッカー講座朱夏の陽炎

ロジャー・フィッシャー&ウィリアム・ユーリー著,岩瀬大輔訳「ハーバード流交渉術 必ず「望む結果」を引き出せる!」(三笠書房)

本書は1981年に刊行された"Getting to Yes: Negotiating Agreement Without Giving In"の新訳版である。

交渉とは自分の意見を相手に呑ませることでも、相手の意見を自分が呑み込むことでもない。相互に妥協できる着地点を見いだすことである。
ここで忘れてはならないのが、相手は機械ではなく人間だということだ。交渉相手には立場があり、生活がある。立場も生活も壊すような妥協は絶対にできない。その一方で、第三者からすれば「どうしてそんなところにこだわるのか?」と疑念を抱くことにこだわり、交渉不成立となることもある。

本書に取り上げられている例として、アパートの家賃交渉がある。
大家としては家賃を値上げしたいと思っている。
住んでいる側は家賃値上げとなると困ると思っている。
そこで、家賃値上げについての交渉が繰り広げられることとなるが、折れないと以下の通りとなる。
値上げを強行すると、家賃が払えなくなって出て行ってしまう。空室がもたらす利益はゼロだ。一方で、家賃が払えないからとアパートを出て行ったとしても次にどこで暮らすのかという問題がある。
家賃据え置きとすると、住んでいる人は今まで通りの暮らしとなるが、家賃が上がらないためにアパートの修繕に要する費用が枯渇し、住まいは経年劣化に任されるままとなる。
そこで双方の妥協点が求められることとなる。たとえば値上げ幅を縮小する、あるいは、家賃を上げる代わりに更新料を減らす、それまで2年としていた賃貸契約期間を3年に伸ばすことで更新料の総支払回数を減らすといったのが、双方の妥協点となりうる回答だ。

前述の通り、本書は1981年に刊行された著作であり、交渉の分野における古典的名作である。ゆえに、現代社会ならば当たり前に存在するIT機器やインターネットは登場しない。しかし、代表的な著作であるために、1981年に初版が発行されて以降も本書は、さまざまな交渉の場面で成果を上げるための不可欠な手引書として高く評価され、広く推奨されている。

本書の大前提は、原則的な交渉、つまり、人間関係を維持し、不必要な対立を避けながら、相互に満足のいく合意に達することを目的とした方法を中心に展開される。著者は、ポジション交渉や勝ち負けにこだわるのではなく、利益、選択肢、客観的基準に焦点を当てた協力的なアプローチを提唱している。冒頭に記した家賃は本書にも記されている一例だ。その他にも、経営層と労働組合との対話、トラックの通行の危険性を訴える地域住民とトラック会社、エジプトとイスラエルとの紛争問題においてどのような交渉が用いられ、どのような返答が得られたかと言った事例も本書には数多く記されている。

その中で面白い例がある。ケーキを二人で分けて食べるときに、どのように分ければ互いに納得できる結果になるか、である。知っている人も多いであろうが、答えは簡単。一人がケーキを二つに切り分け、もう一人が二つに切り分けられたケーキのうちどちらを選ぶのか決めるというものである。こうなれば、切る側は否応なく自分の損失が最少になるように行動する。

本書を通して強調されている中心的なコンセプトのひとつは、人と問題を切り離すことの重要性である。著者は、立場にこだわったり、個人攻撃をしたりするのではなく、関係者それぞれの根底にある利益やニーズを理解することの重要性を強調している。オープンなコミュニケーション、積極的な傾聴、共感を育むことで、交渉者は信頼を築き、双方が満足する創造的な解決策を探ることができる。

本書のもうひとつの特筆すべき点は、相互に有益な選択肢を生み出すことに焦点を当てている点である。著者は交渉者に問題解決の考え方を採用し、合意の可能性を広げる革新的な選択肢を模索するよう勧めている。また、行き詰まりを克服し、Win-Winの解決策を見出すために、ブレーンストーミング、コラボレーション、複数の視点を考慮することの価値を強調している。

さらに本書では、交渉プロセスを導く客観的な基準や標準の概念を紹介している。両者が合意できる公正な基準を設定することで、交渉は主観的な判断から離れ、客観的な価値尺度に焦点を当てることができると著者は提案する。このアプローチにより、公平感と正当性が生まれ、耐久性のある合意に達する可能性が高まる。

本書に記されている原則とテクニックは、数え切れないほどの個人や組織が交渉スキルを向上させ、成功に導くのに役立ってきた。弁護士や外交官といった交渉を職業とするスペシャリストだけでなく、ビジネスパーソン、あるいは単に対人コミュニケーション・スキルを向上させたいと考えている人にとって、本書は紛争を乗り切り、互恵的な解決策を見出す力を与えてくれる不可欠なリソースである。