德薙零己の読書記録

お勧めの書籍や論文を紹介して参ります。

おじいちゃんといっしょドラッカー講座朱夏の陽炎

網野善彦&宮田登著「歴史の中で語られてこなかったこと・おんな・子供・老人からの『日本史』」(朝日文庫)

歴史の中で語られてこなかったこと おんな・子供・老人からの「日本史」 (朝日文庫)

網野善彦宮田登著「歴史の中で語られてこなかったこと・おんな・子供・老人からの『日本史』」(朝日文庫

これは日本史に限ったことではないが、歴史に登場する人物の多くは壮年期の男性である。青年期であったり老年期であったりすることもあるが、大人の男であるという点で捉えると、広い意味での壮年期男性として捉えることもできよう。

しかし、当然ながら壮年男性だけが社会に存在していたわけではない。壮年期にまだ加わることの許されない子供もいたし、壮年期にカウントすることも許されなくなった高齢者もいたし、そして何より女性がいた。壮年期男性のことばかりが歴史に登場するのは、単に壮年期男性の足跡に関する記録が多いからでしかない。

名も無き民間人にフォーカスが当たることがあったとしても、日本の歴史を考えると、その多くはコメを介在とする産業的側面からであり、稲作を、そしてコメの流通を前提とした視点である。

本書は、この国の歴史を形作ってきた人達のうち、歴史資料にその足跡を残すことの乏しかった、女性、子供、高齢者の足跡を追いかけることで、日本史を別の視点から捉えた一冊である。

たとえばコメ以外の産業に目を向けるとどうなるか?
軽工業の世界における女性の役割は決して無視できるものではない。それは初期の家内制手工業と呼ぶべきものであるが、衣服を誰が作るのか、衣服や衣服の材料となる布地がこの国の経済と社会においてどのような位置づけを持っていたかを考えたとき、女性の存在を無視することはできなくなる。

あるいは子供はどうか?
児童労働という現実があったのは認めなければならないが、基本的には産業の主軸ではなく産業の再生産人口である。そのため、多くは親の職業を継ぐという前提での教育が施され、日々の遊びの中にも社会の継承が存在している。

それでは老人はどうか?
高齢者の人口が現在よりもはるかに少ない時代における高齢者は、存在そのものが地域社会の調整役であった。単に長生きしたというだけではなく、長命を経た人生を過ごしてきたからこそ周囲から重宝され、混迷時の調整役を務めることが求められた。

いずれも現在の日本とは大きな違いのある社会構造である。そして、一見すると人口の再生産に成功する社会であったかのようにも見える。その結果、このように考えてしまうかもしれない。
昔を見倣うべきだ、と。
ただ、その考えは厳しいとするしかない。現在の日本の人口は1億2000万人を数えるのに対し、明治維新の頃の日本の人口は3000万人、平安時代だとせいぜい500万人である。
本書を読んで学ぶべきは、昔はこうであったという視点だけでいい。その上で、現在の人口を踏まえた上での未来を想起すべきである。