德薙零己の読書記録

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ハリー・G.・フランクファート著,山形浩生訳「不平等論:格差は悪なのか?」(筑摩書房)

人類が文明を手に入れてから1万年。人類は様々な社会体制、政治体制、経済体制を生み出してきたが、ついぞ、不平等を無くした社会体制、政治体制、経済体制を作り上げることは無かった。後の子孫が不平等無き時代を創り出す可能性は否定しないが、その可能性はきわめて低いとするしかない。

トマ・ピケティは大著「21世紀の資本」の中で格差縮小の三要素として戦争、革命、大規模自然災害の三つを挙げ、ウォルター・シャイデルはトマ・ピケティの後を受けて、戦争、革命、国家破綻、感染爆発の四つを格差縮小の四要素として挙げた。ついでに記すと、ウォルター・シャイデルはそのほかに格差縮小をもたらす要素はなく、再分配や教育ですら格差縮小はつながらないことを挙げている。

着目すべきは、格差の縮小ではなく解消ではないという点である。ゼロとすることはできないのだ。その点に関して本書は、社会正義の目標は経済的平等や格差の縮小であるべきだと考える人々に対して、説得力のある不穏な反応を示している。無くすべきは貧困であって格差では無い。それが本書の主張だ。

我々は道徳的に貧困をなくす義務があり、全ての人がまともな生活を送るのに十分な額を持つようにすることを前面に掲げるべきで、不平等に焦点を当て、不平等の解消を目的とすることは、かえって貧困から注意をそらし、問題解決を隠蔽させてしまう。全ての人が申し分ない生活を送れるようにすることこそ目指すべき道であり、その結果として不平等が減ることは構わない。しかし、平等の成就のために貧困から目を背けることはあってはならないのだ。

経済的不平等は、現代における最も分裂的な問題のひとつである。しかし、不平等が貧困よりも大きな悪であると主張する人はほとんどいないだろう。貧しい人々が苦しんでいるのは、彼らが十分なものを持っていないからであって、他の人々がより多く持っているからではない。では、なぜ多くの人々が、貧しい人々よりも富める人々に心を痛めているように見えるのだろうか?

その答えは、本書を読んでいただきたい。さほどページ数の長い書籍ではないのでさほど時間を要さずに読めるはずである。