德薙零己の読書記録

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トマ・ピケティ著,山形浩生&森本正史訳「資本とイデオロギー」(みすず書房)

紙書籍版
8月24日店頭販売開始
Kindle
12月1日配信開始

日本に生まれ、日本に育ち、日本で暮らしていると、自分が特異な環境に生きていることに気づかないのかもしれない。

昭和生まれの人間であれば、過去に二度、日本に政権交代が会ったことを覚えているはずである。1993年の衆院選と2009年の衆院選の2回、この国の有権者政権交代を起こして自民党以外の政党が国政を握ることを選んだ。裏を返せば、55年体制の成立した昭和30(1955)年から現在に至るまで日本の国政は自民党単独政権、もしくは現在の自公連立政権のように自民党が軸となった政権運営となっている。これは他国から見れば珍しいとするしかない。

なぜ政権交代が起こらないのか?

ピケティが本書で著していることにヒントがある。

 

本書「資本とイデオロギー」は、「21世紀の資本」で世界的に名を馳せたトマ・ピケティの最新刊である。もっとも原著刊行年は2019年であり、本書にはロシアのウクライナ侵略戦争の記述もなければ、COVID-19の記述もない。しかし、前著には無かった地域について歴史的経緯からの現代社会成立の過程が記されており、それぞれの地域について富める者がどのような政体を構築してきたか、エリートがどのように醸成されエリート達がどのような政体を構築してきたかを記している。

ピケティは、不平等を人間の制度によって引き起こされる社会現象として捉えている。不平等は経済的なものでも技術的なものでもなく、イデオロギー的で政治的なものであるというのがピケティの主張だ。ピケティはイデオロギーを「社会がどのように構造化されるべきかを説明する、先験的にもっともらしい考えや言説の集合」とし、イデオロギーが不平等を擁護し、不平等がイデオロギーを養うという循環的な傾向があると主張している。

その上で、二つの政党の様相を本書は描き出している。すなわち、富める者を支持基盤とする右派と、エリートを支持基盤とする左派である。このことについて、ピケティは前者をビジネスエリートによる『商人右翼』、後者をインテリエリートによる『バラモン左翼』と呼んでいる。着目すべきは、そのスタートが貧者救済であり、かつては貧しい人達の得票を集めていたはずの左派が、1990年以降になると貧しい人達の支持を得ることが減り、年月を経る毎に、かつてエリートとされてきた人達の集団となっていることの指摘である。傾向として、都市部のエリート層がバラモン左翼を支持し、地方の富裕層が商人右翼を支持するというのが世界的に広く見られるようになった光景であり、その二者の間で政権が移り変わる仕組みが構築されたというのがピケティの分析だ。

そして、ピケティは日本を例外と述べている。「先進国の選挙民主主義における亀裂構造の全般的な発展における唯一の真の例外」がピケティの日本評である。長期に亘り政権を担ってきた自民党を地方農民有権者と都市ブルジョワジーの支持政党であるとし、「中低所得の都市部賃金労働者と、米軍の存在や自民党が代表する新しい道徳社会秩序に反対したがる高学歴有権者の間で高い得票を得た」はずの主な野党は「自民党に取って代わるだけの多数派を持続的に形成することはなかった」というのがピケティの評価だ。(同書 p.789-790)

しかし、本当にそうなのかと感じる。アメリカで民主党が、イギリスで労働党が支持を集めているように、また、フランスにおけるピケティ自身の政治的立場からも示されているように、バラモン左翼の主張するところは国内社会主義と称すべき代物なっている。他ならぬピケティ自身が問題であると考えているものの、この問題の解決を全世界的に解決する手段を有していない。それはEUのように国家間の相互のつながりが強固であり、かつ、相互に尊重される関係にある仕組みであっても例外ではない。自国の利益が最優先であり、自国の利益のために他国に負担を押しつける構図が存在している。だが、それは日本国も該当するものなのだろうかとも感じる。これは私見であるが、本書の中にも登場している中道右派中道左派の包括を日本の自民党は担っているのではないか、すなわち、ビジネスエリートとインテリエリートは相互に包摂し合い、包摂する双方が、選択肢の無さの結果として自民党を支持するという構図が日本の現状ではないか、そう感じるのだ。自民党が強大すぎるがゆえに反発を招くことが多く、支持政党無しとなる人も多い。しかし、支持政党無しでも野党に投票する人は少ない。他国では高学歴層の支持を集めることの多いバラモン左翼が日本には存在せず、ピケティが日本のバラモン左翼に類すると見做した政党は、バラモン左翼ではない、より正確に言えば、バラモン左翼ですらない政党なのだ。

 

では、商人右翼とバラモン左翼との政権交代の繰り返しで何が起こっているのか?

格差の断絶である。

ビジネスエリートとインテリエリートは相互に自己複製する形での世代交代を繰り返し、そのどちらにもなれない人は選挙の棄権という形を選ぶか、自らの利益にならないまでも商人右翼とバラモン左翼のどちらか一方に投票する。そのどちらでもない第三の政党に投票することもあるが、それで国政を動かすようなことはない。商人右翼とバラモン左翼の違いは、商人右翼であれば格差が広がる一方で格差の流動性が保持され、バラモン左翼であれば格差が縮まる一方で格差が固定される。望ましい結果とすべき格差の克服は存在しない。その上で誕生してしまっているのが、国内社会主義とピケティが評する内向きな各国単位の経済情勢だ。

ピケティは国内社会主義と化している現状への改善も踏まえ、前著「21世紀の資本」で挙げた r > g の解消も含めた提唱として、国境を越えた資産税の負荷を挙げている。富者から貧者への富の移動であり、資産税そのものは他ならぬ日本国が戦後直後に体験したことである。もっとも、その当時の日本国をはじめ、1940年代後半に資産税を導入した国というのは戦争からの復興を最優先にせざるを得ない状況にあり、圧倒的な反発を生むこと必定の課税を強引に押し通したという側面がある。これを、税率は低いとは言え恒久的に、かつ、全世界的に適用することは可能なのだろうかと考えてしまう。

ただし、一つだけ希望がある。ピケティは資産税の導入の見返りに所得税の減税と株主配当に対する課税比率の見直しを挙げているので、仮にピケティの挙げた資産税が導入された場合、私は、そして、多くの日本国民は税負担が減る側になる。

なお、本日の記事について最後に言っておくことがある。本書は900ページを超える大著である。それこそただでさえページ数で圧倒されることの多かった前著と比べても、これだけの厚みの違いがある。これほどのページ数を読み切るなどできないと考えて私のこの書評をそのまま引用した場合、読み込みが足りないと言われる可能性が高い。実際、私もたった一度の読了で満足などしていない。もっと深く読み込みたいという思いに駆られている。