德薙零己の読書記録

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相澤央著「雪と暮らす古代の人々」(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)

雪と暮らす古代の人々 歴史文化ライブラリー

歴史を学ぶのに文献資料だけでは十分ではない。地図を拡げて出来事の起こった場所を確認すると違う姿が見えてくる。その地図が地形図であると、平面の地図ではわからない高低差が出来事を左右する要素であることを知ることができる。

さらにもう一点加えねばならない視点がある。

それが、出来事の起こった日、そのもの。

たとえば東京に住む人間にとっての雪とは、年に数回あるかどうかの特別なイベントである。明日は雪が降るだろうという予報は明日の到来を楽しみにさせ、実際に雪が降ると寒さはあるが風流も伴い、雪見酒と洒落込む者もいれば、雪だるまや雪合戦に興じる者もいる。雪かきをする者もいるが、ここでいう雪かきとは年に数回、あるいは数年に一回の特別な行動であり、日常生活の恒例行事というわけではない。

しかし、雪国に住む人にそんな考えは通用しない。甚だ迷惑な存在でしかない。屋根の雪下ろしは必須であるし、雪かきをしないなどという贅沢な選択肢を選ぶなどできない。ただただ怨嗟の対象である。

無論、永遠に雪が降り続けるわけでは無い。異常気象でもない限り夏季は雪に苦しむことなどない生活を過ごせる。気温が下がり雪のシーズンを迎えてから、気温が上がって雪のシーズンを終えるまでが困惑の季節となる。現在でも雪の量が多いと道路発高度目になり鉄道は運転を見合わせることとなるが、それは古代でもかわることはない。

本書はその視点を記す一冊である。タイトルには「古代の人々」と記しているが、その多くは平安時代の雪の情景である。理由は単純で、奈良時代までは公的記録を追いかけなければ雪の記録を求めることができないが、平安時代になると貴族の私的な日記という雪に関する記録が多くなるからである。それも、公的記録にある降雪そのものの記録ではなく、日記にある降雪量や雪との過ごしかたといった詳しい記録が登場する、

京都の冬は寒いというが、そして実際に寒いが、雪国というほどの降雪量や降雪回数ではなく、雪に対する接し方は現在の東京の人とさほど変わらない。雪に風流を見いだし、現在では雪だるまとなるべきところであるが、平安時代の人達は雪で雪山を作っている。藤原頼長は身の丈の三倍近い高さの雪山を一人で作ったともいう。

一方、当時の雪国の交通事情に降雪量が加わると、文字通り交通が遮断される。道路が雪で埋まってしまったために納税できなくなり、納めた税を京都まで運ぶ期限を延期したことの記録が出てくる。

そういえば、日本という国家は中国大陸の歴代国家と違って中央集権ではなく地方分権が進んできた歴史を持つ国家であるが、そのあたりの理由の一つに、自然環境による交通網の遮断による自給自足経済の発展もあるのかもしれない。