ケインズには一つの批難がつきまとう。変節がそれだ。
ケインズが生涯で発表してきた論文や著作を追いかけると、一貫性がないと感じることがある。
しかし、忘れてはならない点がある。
ケインズは理論を述べていたのではない。現実に起こっている問題を解決し続けていたのである。理想とする経済があり社会があって、そうした経済、そうした社会に向かわせようというとき、変節はマイナス要素となる。
だが、現実に向かい合っているときに理想など述べている余裕は無い。現実に起こっている経済問題、社会問題があり、これらの問題を以下に解決するかに直面しているとき、理想などどうでもいい。考えるべきは現実である。
ケインズの直面した第一次大戦とその直後のドイツに対する峻厳なる賠償を考えていただきたい。その上で、ケインズがドイツへの賠償に対して範囲を示したことを思い浮かべていただきたい。戦勝国たる国々、特にフランスの感情を考えたとき、ドイツに対する尋常ならざる賠償金の請求は、感情を満たすものであったろう。だが、それはナチスを生みヒトラーを生み出してしまったのだ。
また、1929年に始まる世界恐慌を思い浮かべていただきたい。失業者があふれ、賃金が下がり、物価が下がっても減ってしまった賃金では買うことができず貧しくなっていく。そのときのケインズの回答は一般理論を思い浮かべていただければ十分であるが、ケインズがどうして一般理論を発表したのかという視点は重要である。すなわち、現在起こっている問題をいかにして解決するか、である。
本書は、一人の人間としてのケインズが、その時代の問題を一つ、また一つと向かい合ったことの足跡である。本書を読むことで、理論ではなく、血の通った一人の人間としてのケインズの姿が浮かび上がってくるであろう。