德薙零己の読書記録

お勧めの書籍や論文を紹介して参ります。

おじいちゃんといっしょドラッカー講座朱夏の陽炎

ヴィクトール・E・フランクル著,池田香代子訳「夜と霧」(みすず書房)

X(旧Twitter)を見ると危険な言説が見えてくる。コミュニティノートでの是正は存在するものの、コミュニティノートが付くことも無くエコーチェンバーでより過激な意見が広まるのは今も止まらない。

その結末がどのようなものか。歴史は答えを示している。数多な書籍が歴史という名の回答を示しているが、

本書「夜と霧」、原著名 Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager 、英語タイトル Man's Search For Meaning: An Introduction to Logotherapy はナチス強制収容所から生還した精神科医ヴィクトール・フランクルによる著作である。

この本の中でフランクルは、囚人としての体験を記し、生きる理由を見出すための心理療法的な方法について述べている。彼は、私たちは苦しみを避けることはできないが、苦しみに対処する方法を選び、苦しみの中に意味を見出し、新たな目的を持って前進することはできると主張している。ロゴセラピーとして知られる彼の理論は、フロイトが主張したように、人生における第一の原動力は快楽ではなく、個人的に意味を見出すものの発見と追求であると主張している。

強制収容所という強烈な体験から、生きることの意味は、たとえ苦しみや死の只中にあっても、生きているあらゆる瞬間に見出されることを発見した。自分の人生に目的があると感じれば、人は苦しみに耐えることができる結論づけたのが本書である。

しかし、そもそもどうしてフランクル強制収容所に送り込まれることとなったのか?

理由だけは簡潔で、フランクルユダヤ人だからである。

だが、どうしてユダヤ人であるという理由だけで強制収容所に連れて行かれなければならなかったのか?

そういう時代だったからというのは理由にならない。その時代がまさにエコーチェンバーによって醸成されたファシズムの時代であったからである。探せばユダヤ人の悪人もいただろう。しかし、ユダヤ人が何かをすれば、それはユダヤ人個人ではなくユダヤ人全体の問題と扱われ、ユダヤ人の存在そのものを抹殺すべきという世情を創り出し、ユダヤ人に対しては何をしても良い、ユダヤ人相手であればどんなことでも全て許される、ユダヤ人絶滅を訴えても問題ないという社会の空気を創り出したのだ。

その空気が生み出した結末のうち、生きて戻ることのできた人の証言、そして、絶望の中で生き抜く源泉を見いだしたのが本書である。本来であればこのような絶望など体感する必要などなかった。ユダヤ人に対する、いや、ユダヤ人に限らず全ての人に対する当たり前の人権、当たり前の公平、当たり前の公正さを示す社会が作り上げられていたならホロコーストなどなく、ナチスの尻馬に乗ることもなかったのだ。

それは、現在ならば醸成されない社会の空気であろうと考えるのは、仮に、そのような言動や行動を見せたなら、社会が自浄能力を働かせるであろうと考えるのは甘い。現在のネット上のエコーチェンバー現象を見ると自浄能力はそこまで期待できない。たとえば未だに処理水を『汚染水』などと言って難癖を付ける人達に自浄能力は期待できないし、日刊スポーツの記事の尻馬に乗って浦和レッズに難癖を付ける連中に自浄能力は期待できない。

その上で、覚えておいた方がいいことがある。処理水を「汚染水」などと呼んでいる人、そして、日刊スポーツの記事に同調して浦和レッズに対する誹謗中傷を繰り返す面々は、この国を戦争へと向かわせる無能なファシストである。その発言がいかに間違いであり、許されざる暴言であるかを永遠に指摘し続けなければならない。言論の自由はある。言論の自由の中には相手の話している内容が愚かで、間違いであると指摘する自由もある。自分の発言の自由は認めるが相手は発言の自由などないという姿勢は、もう通用するような時代ではない。