德薙零己の読書記録

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塚瀬進著「満洲の日本人〈新装版〉」(吉川弘文館)

明治、大正、そして戦前昭和の日本人は、何を求めて満州へと渡ったのか?
短絡的に言えば、エリート意識を満たした上での豊かな暮らしである。
何しろ、満州に渡れば日本国内の1.2倍から1.5倍の給料が得られたのだ。
都市部のホワイトカラー職務も夢ではない。

日本の満州経営の軸となっていた南満州鉄道株式会社、通称「満鉄」の従業員になることも可能だった。満鉄は日常的に人員不足であり、多少の素性の怪しさがあろうと満鉄の従業員になること自体は不可能ではなかった。正社員としてではなく非正規職であるが……

満州に行っても言葉に困ることはない。何しろ周囲は全て日本人であり、日本語だけで生活できる。学校に行っても日本人だけであり、満州での学歴は日本でも通用する。もっとも、収入を得たことで我が子を高学歴にさせようとする者が多いために受験競争は厳しいものとなっていた。

満州に渡った者は自分がエリートであると自負していた。エリートであるために高収入を獲得でき、エリートに相応しい生活ができる。満州に渡った日本人が学ぶ外国語とは、英語やドイツ語といったヨーロッパ系の言語であり、中国語やロシア語ではない。

満州に渡ったあとでの生活も、基本的には日本での生活と同じだ。気候の問題もあるから完全な再現とは言わないが、日本に留まったままでは味わえない日本国内での富裕層の暮らしを、満州に行けば実体験できるのだ。

買い物も日本人の経営する店か、あるいは、中国人が日本人向けに開業している店である。ただし、高い。物価が高いから給料も高いと言えばその通りであるが、日本人の経営する店は日本からの輸入品であるために高くなり、中国人が経営する店は足下を見る。

そのことを満鉄は考えていた。満鉄の従業員に限定される話であるが、現在の生協のように満鉄の従業員は満鉄を通じて日用品を割引で買うことができた。ただし、正社員と非正規との間に格差があるほか、頼んだモノが届かないかと思えば、頼んでいないモノが勝手に届くという不手際も日常であった。

と、ここまで書いてきて気づいた人はいないだろうか?
満州は中国である。それなのに、ここまでの書き込みの中に中国人がほとんど登場してこない。中国人が日本人向けに開業している店とは記したが、その逆がない。

それ以前に、満州に渡った日本人が日常生活において中国人と接したような描写もない。
描写がないのは当然で、そもそも満州に渡った日本人が求めていたのは満州の地で日本国内におけるエリートの暮らしをすることであって、満州で何かをすることではないのだ。

ビジネスセンスを満州の地で発揮させるわけではなく、ましてや中国人をビジネスのメインターゲットとすることもなく、何なら、中国人を排除したビジネスを満州の地で生み出そうとし、あるいは、既に存在するビジネスに加わり、それで儲けたなら日本に戻ることを狙っているのだ。

満州に渡っても、求めていたのは日本国におけるエリートである自分をいかにして自己実現させるかであって、満州の地をどうするかという視点は完全に欠けていたし、そもそも彼らの目に中国人は映っていなかった。中国でありながら中国人と接することのない社会を作っていたのである。

後に満蒙開拓団として農業を前提とした移住を促すようになるが、明治時代から満州事変までの間に満州に渡った日本人は、その九割以上が都市部の住人であった。都市での裕福な暮らしであることこそが満州に渡る理由だったのだ。