德薙零己の読書記録

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おじいちゃんといっしょドラッカー講座朱夏の陽炎

宇都宮徹壱著「ディナモ・フットボール」(みすず書房)

2023年5月6日のACL決勝第2戦の試合中、主審に対する不満の声が観客席の至る所から挙がっていた。その多くは、というよりも、一つの例外もなく、不満の声を挙げる観客のほうが正しい判断とするしかない内容であったが、そうしたジャッジもまたACLである。それに、もっとひどいのは何度も体験しているし、ACL決勝第2戦の主審のジャッジはマシなほうである。

過去の歴史を振り返ると、とてもでは無いが容認できる余地のないジャッジの恩恵を全面的に受け続けてきたクラブが存在する。いや、受けてきたのはジャッジの恩恵だけではない。国家の全面的な圧力の恩恵を全面的に受けてきたクラブが存在するのだ。

そのクラブの名を、ディナモ・ベルリンという。

ドイツが東西に分かれていた頃、ベルリンの東半分は東ドイツの首都であり、西半分は西ドイツの一地方であった。

この、東ベルリンをホームとしていたサッカークラブがディナモ・ベルリンである。

このディナモ・ベルリンは東ドイツ最強のクラブであった。何しろ、実質的なオーナーが秘密警察長官のエーリヒ・ミールケなのである。

まず、東ドイツの他のクラブから優秀な選手が問答無用で引き抜かれた。拒否したら国家反逆罪である。

次に、審判の判定にも国家反逆罪が適用されるようになった。試合終了直前にPKが与えられ、PKを外すとPKをやり直すよう命じることが当たり前になった。

正しい判断を下す審判は、どういうわけか家族もろとも姿を見せなくなった。

ただし、このようなクラブに人気が集まるわけはなく、ディナモ・ベルリンと対戦するクラブを応援する者がスタジアムにやってくるだけであった。

この結果、ディナモ・ベルリンは前代未聞の10連覇を達成した。その被害をまともに被ったのが、当時、事実上の東ドイツ最強のクラブであったディナモ・ドレスデンである。

この「ディナモ」というのは、英訳すると dynamic 、日本語に直訳すると「動き回ること」、意訳すると「総合スポーツクラブ」となる。

ただし、正確に言えば、共産主義政党がオーナーであるクラブという意味である。私企業の認められない共産主義国では、党、軍隊、地方自治体、政府組織などがオーナーになるしかなく、「ディナモ」と言えば、それはどこの国でも共産主義政党の運営するクラブであることを意味する。

これは、共産党ではなくドイツ社会主義統一党という名称であった東ドイツでも同じことで、ディナモと名乗るクラブは共産主義政党が絡んでいた。

すなわち、よほどの例外でもない限り、もっとも嫌われるクラブであることを意味していた。

この、よほどの例外であったのがディナモ・ドレスデンである。当時のドレスデン県の共産党支部がオーナーなクラブなのであるが、2万人以上の観客を常に集める人気を誇っていた。

なぜか? ディナモ・ドレスデンだけはディナモ・ベルリンに勝てるクラブだったのである。つまり、実力では圧勝するし、かなりメチャクチャな審判であってもディナモ・ベルリンに勝てる力があったのである。

この結果、ディナモ・ドレスデンでレギュラーになると、秘密警察の命令によってディナモ・ベルリンへの移籍が命じられるというのが年中行事になった。

ディナモ・ベルリンの栄光は、ベルリンの壁の崩壊とともに終わりを迎えた。強制的に移籍させられてきた選手はいち早くディナモ・ベルリンに別れを告げ、審判は秘密警察を気にせず正しいジャッジを下せるようになった。

ディナモ・ベルリンは、ドイツ統一後のトップリーグであるブンデスリーガに所属することはおろか、2部リーグ、3部リーグへと転落し、本拠地のスタジアムの使用料も払えなくなって破産した。

いちおう再起はしたが、やはりブンデスリーガとは縁遠い存在であり、現在は4部、アマチュアリーグであるレギオナルリーガに所属している。

現在のホームスタジアムは、収容人員1万人、うち座席は2000席という小さなスタジアムを何とか使わせてもらっている状態である。

強豪クラブの育成用下部組織や、純粋にサッカーを楽しむアマチュアクラブの中にあって、過去に10連覇を達成したこともあるほどのかつての古豪が、多くても20人集まるかどうかという観客数の中で試合をしている。