德薙零己の読書記録

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サッカーと全体主義

去年のサッカーW杯のときにTwitterに投稿された日本共産党の議員によるサッカー日本代表への非難の言葉は、当時のTLを賑わせた。結論から言うと、自分達の過去を歴史として学ばなかった議員の生み出した軽挙な言葉であると断じるしかない。

サッカーを愛する人達は言論の自由のために戦い続けてきた。ファシズムに支配されたイタリアやドイツ、共産主義に包まれたソビエトや東欧、あるいはフランコ将軍時代のスペインでは、サッカースタジアムに行くことで、反ファシズム、反共産主義を堂々と主張してきた。

サッカーが好きな一個人であるという名目でスタジアムに行き、ファシズムの支援を受けたクラブや共産党の支援を受けたクラブと対戦するクラブのファンとして、クラブに声援を送る。それが数少ない、反ファシズム、反共産主義の意思表明の手段だった。

あくまでも好きなクラブやそのクラブに所属する選手に対する声援であり、愛するクラブの敵であるクラブに対する批難の声であった。その正体が反ファシズムや反共産主義であっても、サッカーの応援である間は秘密警察に逮捕されずに声を挙げることができた。

 

それが許されない場面もあった。

東ドイツに住むヘルタ・ベルリンのサポーターである。

ヘルタ・ベルリンの本拠地は西ベルリンにあったがスタジアムそのものはベルリンの壁のすぐ近くにあった。目の前にスタジアムがあるのにスタジアムに行けない時代が28年も続いたのだ。

ベルリンの壁のせいで愛するクラブを応援することができなくなった東ドイツ在住のヘルタ・ベルリンのサポーターは、スタジアムに行けない代わりに壁の近くに足を運び、壁の向こうから聞こえてくるかすかなスタジアムの声援に耳を傾けた。秘密警察もこれを取り締まることはできなかった。

 

自由と民主主義と平和と豊かな暮らしを求める人達は、サッカーを愛することで、ファシズムに逆らい、共産主義に逆らい、自由と民主主義と平和と豊かな暮らしを生み出そうとし、そして、実現させた、あるいは、実現させつつある。

それがサッカーと全体主義との歴史だ。

サッカーの敵

ディナモ・フットボール