德薙零己の読書記録

お勧めの書籍や論文を紹介して参ります。

おじいちゃんといっしょドラッカー講座朱夏の陽炎

フィリップ・コトラー著「『公共の利益』のための思想と実践」(ミネルヴァ書房)

企業というものは金儲けのための組織である、というわけではない。金儲けをしなければ、金儲けという言い方に棘があるとしたら、ビジネスとして成立させなければ、企業はその存在意義を失う。しかし、自分達のビジネスが成立するならば他社にどれだけ損害を与えても許されるなどということはない。

たしかにそのような企業は存在する。しかし、他社に害悪を与え続けるような企業が存続し続けることができるだろうか? そのような企業は必ずと言っていいほど糾弾される。昭和30年代から昭和40年代は公害を生み出す企業が糾弾され、現在では「ブラック企業」として糾弾される。

糾弾の末に自らを律すことに成功した企業は生き残り、そうでない企業は淘汰される。
糾弾されるのは企業だけではない。国や地方自治体、政党なども糾弾されることが珍しくない。特に、貧困問題や格差問題、平和問題などは糾弾としてよくあることだ。

同時に、貧困問題を放置し、格差問題を放置し、平和ではなく戦争を選ぶような国や政党はその多くが糾弾される。糾弾が単なる批判であるケースもあるが、批判ではなく提案になるケースも国外では存在する。

誰もが社会を良くしようとし、自らの暮らしを良いものにしようとする。病気やケガで失った健康を取り戻すために医療を頼るとき、どこまで自分で負担すべきか。社会で生きていくために必要な知識と技能を得るために学校に通うとき、どこまで自分で負担すべきか。様々な国が様々な方法で模索している。

全てを国に任せた結果がどうなったかは20世紀の歴史が証明している。自己責任に委ねた結果がどうなったかは現在進行形で現在に生きる我々が実体験している。日本国は、医療については成功したほうであるが、教育についてはそのケチくささで失敗している。

もっとも、それが問題であるという認識が形成され、問題解決に向けて動き出しているのも事実である。それは日本国だけではなく全世界的に見られる問題形成と行動である。

今後、人類はどのように行くのか。フィリップ・コトラードラッカーが「企業とは何か」で企業に対する洞察を引用した上で、フランツ・カフカの言葉で締め括っている。

自分と世界との戦いでは、世界の側に立て!