1920年代時点では、ワイマール憲法もワイマール共和国の国制も、至上の存在であった。それらは他国が規範とすべき存在である、はずだった。
それがナチスを生みだした。
憲法に瑕疵があったのか、国制に欠陥があったのか、現代に生きる我々だからこそ、その双方ともにYESと答えることができる。
だが、当時の人はそうは考えなかった。しかし、現実の暮らしは明らかに悪化していた。生活ぶりが悪くなるとかのレベルではなく、餓死の危険すら感じさせる生活の苦しさであった。
この現実に対する回答の一つがナチスだった。ただし、ワイマール共和国におけるナチスは選択肢の一つであった。
選択肢の一つでしかなかったナチスが、気がつけば首相を輩出し政権を担う存在になっていた。
国家運営のビジョンがあるわけでなく、空想にすら至らない妄想と、他人がやることなすことを貶すしか能が無い集団に権力を握らせた結果の悲劇についてはあえて記すまでも無い。
ナチスがやったことで合理的な意味があったことは一つしか無い。
党員の隊服に茶色を採用したことだけ。
これならば大便を漏らしても気づかれない。