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速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」 (文春新書)

平安時代歴史小説で全て書くという野望をはじめてから15年目になる。その間、何度となく直面してきたのが、今から1000年前は現在の人口構成ではないという、当たり前であるが、同時に見落としがちになってしまう事実である。

たとえば、なぜ行政区分としての令制国が人口に膾炙されている形に落ち着いたのかを辿っていくと、制定時の人口や地域生産力がだいたい平均になるようにという思惑が見てとれる。無論、一島一国の対馬壱岐、広大な土地である陸奥や出羽、武蔵といった例外もあるが、基本的には均一である。

均一とさせるために無理もさせている。筑紫を筑前筑後に、吉備を備前と備中と備後に分けるなど、大和朝廷の頃は一つの文化圏を構成していた地域をいくつかに分けている。その代わり、時代の制約下の中では最善に近い形の行政区分とさせている。

その安定が、時代とともに崩れてきたのが平安時代である。ほぼ同じ規模の国であったのに、生産力の向上と人口の増加によって国による差異が生じ、国司となることがメリットとなるが否かの差異が生じるようになった。

もっとも平安時代初期には差異への考慮もされていて、越中から加賀が、上総から安房が分離したように、強大な国となったならば分割することもあった。そのため、日本六十六ヶ国という言い方が成立していながら令制国を数えると68ヶ国になるという怪奇現象も生じたが。

話を元に戻すと、時代とともに国による差異が拡大化していったことを踏まえないと平安時代歴史的側面で語ることができない。できないのだが、その根拠となる平安時代の地域毎の人口推計に、亡き速水融氏のように宗門改帳に基づく人口推移を導き出した結果は期待できない。

どういうことかというと、研究者によって数値が大きく食い違うのである。それでもデルファイ方式によるある程度の傾向は読み取れるが、速水融氏が宗門改帳より導き出してくれたような江戸時代の人口推移ほどに綿密なものではない。

その条件下で私は平安時代叢書を書いている。
しかし、悲観はしていない。
歴史人口学のさらなる発展により、現在の人口推計より綿密な人口推移が得られるであろうと期待しているからだ。