德薙零己の読書記録

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ショシャナ・ズボフ著「監視資本主義:人類の未来を賭けた闘い」(東洋経済新報社)

ズボフ氏はこれから人類が迎えてしまうかも知れない監視資本主義に対する警鐘を著している。
しかし、私は異を唱えたい。
既に迎えている。

ズボフ氏は人類がこれから迎えることになる監視資本主義に対する警鐘を著しているが、私はその意見に異を唱えたい。監視資本主義社会はもう成立し、人類を取り囲んでいる。
多くの人が監視資本主義社会の中で生活しており、監視資本主義社会からの離脱が生活の向上を意味する言葉とはなっていない。

監視資本主義は近年だから発生した現象ではなく、古代から人類を取り囲んできた社会の通常態である。多くの人にとっては監視される日常など望ましからぬ社会状態であることを認識しているが、監視される日常を捨てることができる人は少ない。
なぜか?

監視資本主義であるがために生きていけているという社会構造になっていることが珍しくないからである。
無人島に漂流して一人で生きているのでもない限り、人は一人では生きていけない。人の集まりが社会を成立させ、社会が個々人の生活を構築している。
ズボフ氏の言う監視資本主義という概念はムラ社会と言い換えることもできる。近年のネット技術の向上が生みだした監視がズボフ氏の懸念するところであるが、ネット技術の誕生する前からムラ社会は存在していた。

ムラ社会というのは揶揄されることの多い言葉であるし、その多くはプライバシーなど全く存在しない社会である。それなのにムラ社会は各所で見られる。ムラ社会というものは、社会の一員になることに成功すれば、最低限の生活相互保証が受けられる社会でもある。

もっとも、その社会の一員になることができなければ容赦ない差別を受けることになるし、社会の一員になったとしても社会内ヒエラルキーが厳然として存在しており、本人の努力で社会内における地位を手にすることも難しい。だからこそムラ社会からの離脱を多くの人が考え、実行する。

Stadtluft macht frei というドイツ語がある。中世ドイツの都市における法諺で、日本語では「都市の空気は自由にする」と訳すことが多い。西洋中世の場合は荘園領主の法的支配からの脱却であるが、これも突き詰めればムラ社会からの脱却である。

ムラ社会からの脱却を目指す動きは何も西洋中世に限ったことではなく、世界中のどの国でも、どの時代でも起こっていたことである。都市への人の流入がそれだ。
Stadtluft macht frei と明言されていなくても、監視社会から脱して自由を求め、都市に身を置くことを選ぶ動きは珍しくない。

それが自由を獲得する手段であると同時に、それまでよりも良い暮らしを手に入れる手段であるからだ。監視されて自由のない暮らしで最低限の生活、あるいは被虐の生活に耐えるよりも、チャンスを求めてムラ社会の外に、その多くは都市に流れる。

ズボフ氏が懸念しているのはムラ社会の再構築、それもWeb上を契機とする実生活に影響を与えるムラ社会の再構築であろう。実際、本書で述べているように中国は既にそうなっており、それが自由主義・民主主義国にも波及しないという保証はどこにもない。

前述のように、監視資本主義は、あるいはムラ社会は、社会の一員になることに成功すれば最低限の生活相互保証が受けられる。貧しさに苦しむ人にとっては魅力的なものでもあるし、ムラ社会を新しく構築する過程そのものは、それまでの鬱屈した自己の現状を一瞬で解消する高揚感も得られるから。

そして、ムラ社会の一員になるまでの過程も、その結果も恐ろしいものがある。本書で述べているこの箇所はその例と言えよう。