尋尊という僧侶のことを知っている人は少ないかも知れないが、応仁の乱をライルタイムで記録してくれていた僧侶の記録とあれば興味持つ人は多いのではないだろうか。
応仁の乱に苦しんでいる渦中の描写はこの一文を転記するだけでも充分であろう。
久我通嗣が切腹した。困窮して朝夕の食事もとれなくなり、こんなことでは生きる甲斐がないと言い、打刀(うちがたな)で腹を切り、三日後に絶命した。(本書p.137)
久我通嗣は権中納言である。
権中納言という上位の貴族ですら京都在中では満足いく食事も摂れない時代、それが応仁の乱の時代である。
11年間に及ぶ戦乱は京都を破壊した。
徹底的に破壊した。
京都に住む人は命を失うか貧困に喘ぐかのどちらに追いやられ、京都の建物という建物は破壊し尽くされ、後には何も残らなかった。応仁の乱の後の京都を形容するとすれば、かつて都市であった廃墟と現すしかない。
本書に記されているのは地獄である。現実をリアルタイムで記したからこそ伝わる地獄である。
「京都の人にとっての先の戦争とは応仁の乱のこと」という言葉をジョークとして捉えることもあるが、本書を読めばそれはジョークと感じられなくなるであろう。