德薙零己の読書記録

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ケネス・S・ロゴフ著,村井章子訳「現金の呪い:紙幣をいつ廃止するか?」(日経BP)

本書は、ハーバード大学ケネス・S・ロゴフ教授が従来から主張している「レスキャッシュ」、すなわち、現金のない取引である「キャッシュレス」ではなく、現金の少ない社会を解説している書籍である。

振り返ると、現在はロゴフ教授の提唱するレスキャッシュ社会になっている。朝起きて、駅の近くの喫茶店で朝食をとり、駅から職場まで電車で移動し、職場の近くのコンビニで缶コーヒーを買い、職場で働き、職場の社員食堂で昼食をとり、職場近くの書店で本を、ドラッグストアでシャンプーを買い、電車で自宅近くの駅に着いて、スーパーマーケットで買い物をして帰る。これはよくある社会人の日常であるが、その流れの中で一度も現金を使わないというのは珍しくない。

2023年の現在から振り返ると本書はまさに今生きている社会について描写した書籍のように感じるが、忘れてはならないのは、本書の邦訳版刊行年が2017年、原著刊行年は2016年ということだ。その頃にもある程度は現金の無い社会が成立していたが現在ほどではない。やがて訪れる未来の姿として提唱されていたものの遠い未来の理想型というイメージであった。その時代に本書は現代の取引の社会を提唱していたのである。

それは何も、支払いに現金を必要としない社会の便利さを説いただけではない。現金、特に高額紙幣が経済や社会に与える影響に目を向け、その解として現行の高額紙幣の廃止による「レスキャッシュ」社会が、経済社会の多くの問題を解消する鍵となると主張するようになったのである。特に、現金が大胆なマイナス金利政策の障害となっていることを訴え、「キャッシュレス社会」ならぬ「レスキャッシュ社会」への移行を訴えるようになった。

ここで重要なのは、いかにテクノロジーが発達した社会が構築されようと、現金はまだ重要な役割を果たしている点である。特に小口の取引をするときやプライバシーを守りたいとき、そして大規模な災害が発生したときは現金でなければならない。電気が無ければスマートフォンはただの板である。

なお、日本国は2024年度に新しい紙幣を導入することが決まっている。現時点の想定では、最長でも5年程度で市場に流通する一万円札は福沢諭吉から渋沢栄一に代わり、その後も十年間は渋沢栄一の一万円札が存続し続けると見込まれている。こうした新紙幣の発行とレスキャッシュ社会とは一見すると相反するように見えるが、これらは経済政策の一部であり、それぞれが異なる目的と利点を持っている。これらの政策は必ずしも相互排他的ではなく、相互が相互を補完する役割を担うものである。